脳死問題是非・・・・・続・・・・・

梅原先生曰く『脳死問題で私が脳死を人の死とすることに強く反対したのは、人間の死の概念を科学のつごうで変えるのはもってのほか。要するに移植をしたいが為に脳死を死と認めたほうが良いという理由。臓器移植というささやかな医療現場においてのみ脳死を死と認めてくれというならともかく、大上段に振りかぶって脳死を死と認めろという。その背後には科学、医学の大変な傲慢がある。医学のためには人の死すら変えてゆく。だから私は2対13参与を含めても4対16で敢えて反対した。』

五木氏曰く『脳死と臓器移植が同じ調査会のなかで結びつけられてあること自体に不自然をかんじる。脳死は非常に大きな根本の問題で、臓器移植はその中の一部。一部を発送のモチーフにして、そこから脳死が考えられているように感じられることは、本末転倒である。』 上記お二人は脳死イコール臓器移植に反対論のお立場である。

以下はhttp://www.systemicsarchive.com/ja/a/brain_death.html より抜粋
[東京新聞:2005/03/01]より
臓器移植の普及には何が必要か。臓器移植法が施行されてから7年以上が経つが、いまだに脳死移植は年間5件前後で低迷する状況が続いている。このため、自民党の「脳死・生命倫理及び臓器移植調査会」は、最近、臓器移植法を改正して、脳死移植を促進しようとしている。

自民党調査会がつくった改正案の要綱では、事前に書面で提供を拒否していない人が脳死になった時、家族の書面による承諾で提供を認める。年齢制限は設けないため、子どもの提供にも道を開く。また、運転免許証や保険証には提供の意思の有無を記載する欄を設ける。社団法人「日本臓器移植ネットワーク」は、この法改正案が施行された場合、脳死段脳死段階での臓器移植は年間14件程度増えるという試算を出している 。私は、この程度の法改正では、臓器移植が劇的に増えることはないと思う。臓器の供給の不足が慢性化しているため、新鮮な臓器を手に入れようと、医者が患者の救命治療を疎かにすることが問題となっている。この供給不足の問題を解決するには、臓器提供を受けるためには、あらかじめ本人がドナーカードに署名していなければならないというルールを作ればよい。多くの人にとって、脳死後に臓器を摘出されるデメリットよりも、臓器を提供されて生き延びるメリットの方が大きいので、このルールで供給不足の問題は解決する。

しばしば、日本では、脳死を人の死として認める社会的コンセンサスがまだ得られていないという問題点を指摘する人がいる。だが、脳死を人の死と認めない人がいたとしても、それは問題ではない。ドナーカードに署名しなければ、それでよいのである。選択の自由は尊重される。脳死は人の死かという問いに対して、脳死は人格の死ではあるが、生物として人間の死ではないと答えることができる。臓器移植は、将来人工臓器を安価に生産することができるようになれば、不要になるかもしれないが、それまでのつなぎの技術としては必要である。

以上は脳死移植推進論者のお立場の発言であります。何と無くドナーに署名ではなく、又何でも反対でもなく、私達は努力し一所懸命に生きた自身の生の証としての結末を、自分の意思で決定したいものであると私は希望するものです。明日は、世界における又宗教における捉え方の違いを考えたいと思います。
  


人の死とは・・・続・・・・

脳死と臓器移植について作家五木寛之氏と梅原猛先生の対談の中で、梅原氏が臨調における討論のなか、『人口呼吸器はしているものの、体は温かくて呼吸している。しかもお産は可能。ひょっとしたら人口授精ならお産も可能である。そういう人を死人とするのは実感にもとる』と言ったら、元東大総長が『実感なんかに頼るのは科学では無い』と。私(梅原)は、長い間ずっと物を書いてきて、実感と矛盾しないことを根拠に書いている。実感は非常に大事であり、それを抜きにして科学が成立するのは大間違いだと思う。死というのは一種の儀式であり、脳死を死とすることは、それを医者のみが判定できる密室の秘儀に変えること。今までの心臓死は、「ご臨終です」と言ってから、だんだん冷たくなり、そこで公の死の儀式が行われる。脳死を死とすることは、この大切な死の儀式を消滅させてしまうことである。

五木寛之氏曰く、『脳死だけにしぼって考えると、人間と言うものはそもそも全身的なものだと思う。つめの先から髪の毛に至るまでが人間である。それらと脳はお互いに支え合っているという関係。精神は足の指先にも、心臓にも肛門にも、あるいはのど仏にも存在すると。例えば、大和の側から、二上山のかなたに落ちてゆく落日を、幼い日の恵心僧源信は、どう言う思いで見たかと考える時、陽は徐々に沈んでいって、沈んだ後も西の空には鮮やかな夕映えが残り、それが紫色に変わって、やがて次第に暗くなってゆく。その中間の時間が家族とか周りの人たちにとっては大事なんです。体が冷たくなり、死後硬直があり、皆がそれに対して別れを告げて、儀式を行ってそうして、徐々に徐々に死が周りの人間に認知されてゆく。人間の死とはこういうものだと思う。』(少々言葉を省略)

私が母を5年間病院に預けながらの介護を背負っていた時の死の一ヶ月前、『有難う、本当に何とお礼を言ってよいか分らないほど貴方は私を良く看てくれた。私に対する介護を思うと、私は今まで生きてきた自分の生き様が恥ずかしい』と私の手を握り締めて語った。その後、母は余り口を聞けぬ人になったが、私に対しては手で力一杯握り返して感謝を表した。亡くなる数時間前、母の病室にいた際に、病院の医師が私の立場もわきまえず、大声で勝手な理論をいつものごとく展開した。彼女の大声に釣られてついつい私も大声で返した時、ふと母に悪いな・・・と母の顔に目をやった。ところが余りの大声の会話が耳に入ったのだろう。母は満面笑みを浮かべて笑っていたのだ。母には私がそばにいて大声で騒いでいるのが聞こえている・・・私は直感した。その一時間後に母は亡くなった。
  


脳死と臓器移植について

臓器移植法をWikipediaから抜粋すると、第6条において、死亡した者が臓器移植の意思を生前に書面で表示していて、遺族が拒まない場合に限り、「脳死した者の身体」を「死体」に含むとしてその臓器を摘出できると規定する。臓器提供意思を有効に表示可能な年齢については、法文には何ら規定されていない。臓器移植の意思を書面で表示するためには、脳死という概念を理解し、臓器提供の意思を明示する必要があり、意思能力が不可欠とされる。

未成年者の意思能力年齢については諸説あるが、厚生労働省が保健医療局長名(当時)で「臓器の移植に関する法律」の運用に関する指針(ガイドライン)として「臓器提供に係る意思表示の有効性について、年齢等により画一的に判断することは難しいと考えるが、民法上の遺言可能年齢等を参考として、法の運用に当たっては、15歳以上の者の意思表示を有効なものとして取り扱うこと」と通知したことから、実質的には15歳未満の臓器提供ができないとされていた。

しかし2009年の法改正により、2010年1月17日からは、臓器を提供する意思表示に併せて、親族に対し臓器を優先的に提供する意思を書面により表示できることになった。また2010年7月17日からは、本人の臓器提供の意思が不明な場合にも、家族の承諾があれば臓器提供が可能となった。これにより15歳未満の者からの脳死下での臓器提供も可能になった

私は幾つかのボランティアを積極的にしていると察している娘は『お母さんはもちろん、死後は臓器移植するでしょう?』とこの法律が制定されたばかりの数年前に突然と言われた。生前に本人確認と了承をとの娘の発言であった。

突然では有ったが私なりにある結論に達していた。答えは『ノー』である。娘は臓器移植を了承しない人間は、人として失格である・・・とでも思っていたらしい。『まさか、お母さんがそんな意見だとは思わなかった』と。冗談じゃない。生きている間一級奴隷と自負しており又税金を支払うたび≪私は、超高級一級奴隷だから≫と、自己を慰め叱咤激励している自身でもある。死後の世界くらい静かに安らかにあの世に生かせてもらいたいものだと常々思っている。

私の父親はもう110年も前の話ではあるが、赤子で生まれてまもなく≪死≫を宣告されたそうである。110年前のことでどの程度の葬儀を上げたかどうかわからないが、棺桶に蓋をし釘をうった後、生母が『赤子の顔をもう一度見たい』敢えて棺桶の蓋を開け赤子を見つめていた時、死んだはずの赤子が動いた・・・・・。その後その一度死んだ赤子は、戦争中は甲種合格となり76歳で癌を患ってなくなるまで、病一つすること無く30数年前に亡くなったのだ。

又死を宣告されてその後奇跡的に回復された方の話としてよくある話であるが、≪皆が泣いて自分のことを色々言っている会話が聞こえてきたと。だから私は家族が意識不明で昏睡状態にある人には、『耳は聞こえているらしいから、飽く迄会話には注意したほうが良い』と忠告している。

最近愛読者の端くれになった≪梅原猛著/九つの対話≫は、脳死及び臓器移植に関する臨調委員として、何としても脳死を人の死と認識させ多くの臓器移植へと方向転換しようとする国家に対して如何に抵抗されたかそのご苦労を伺い知るきっかけになった。早速≪脳死と臓器移植≫を読んでみたいと思う。
  


ブータン国王『経験をつんで心の竜を大きく』

ブータン王国は、国民の心理的幸福を指標とする「国民総幸福量」(GNH)を重視する国として知られている。NHKテレビ3月22日放映によると≪世界で発展とは経済をいうが、ブータンでは人の幸せは経済の発展だけで測れるものではない。国民総幸福量とは、国民の精神的幸福と長期的な満足であり安心の確保が重要である≫

そしてGNHとはその人自身の内部にあるものである。以下はブータン国王ジグミ・ケサル陛下が東日本大震災で小学校を見舞われた時のお話の中の一説である『私たちの心の中に竜がいる。竜は私達の経験を食べて生きている。沢山経験をして貴方の心の竜を大きくしてください。』ブータン陛下のお話は、心から幸せを求め国民の幸せを願う国王の真摯のお言葉であり、経済の低迷ばかりを騒ぎ立てる日本人にとってとても薬になるお話であった。

日本人の中にも、経済の発展ばかりが幸せを測るものではないことを十分理解している方達は多い。私もその一人である。GDPと騒いでいるのは誰なのであろうか。ジャーナリズムである。もっと心豊かになれる書物を読み、語れる友人と付き合い、より高価なものの為にあくせく競争心旺盛な人たちを目を細め傍目で笑っている日本人も多いことを忘れてはいけない。

最近私の知人の家庭が崩壊状態であり、何時何が起きても可笑しくない状況であることを知らされた。70歳代である母親は既に私の聞き及ぶ限り精神的に病気状態であり、同居していた若い世代とは断絶状態はおろか、殺人でも犯罪でも何が起きても不思議ではない状況に見える。さて彼らの以前の家庭はどんなであったろうか。

まさにブータンの精神的幸せとは反対の見栄を張った、見栄という文字が人間に化けて衣文賭けにかかって歩いている様に、当時私は彼らを見て感じたのであった。衣類、食事・旅行どれを見ても彼らのお金に対する感覚は、世間一般の普通の日本人が、一生に一度でも経験できない贅沢を平常の生活において、優越感に満ちて行動することであった。

私には大きな勘違いされている彼らが、私のように働くばかりで大した贅沢もせず生きていることをバカにされているらしいと感じることは度々であった。決して羨ましいと思ったことも無く、高価な物をまとい高価な食事を当たり前にすることを一度も羨ましいと感じたことも無くむしろ恥ずべき人たち・・・と私自身は解釈していた。それはそれで彼らの自由なんだから人様に迷惑を掛けなければ良い。心が合わない者たちとは無理に付き合わなければ良い。

その家庭では、人を測るのも社会的地位と学歴と持ち物の価格であり、話題は常にそればかりであった。しかしそんな中で教育された子供は、これ以上無い贅沢な生活と怠慢なる生活で壊れてしまったらしい。それを傍で見ていた周囲も同じく精神が壊れたしまったようだ。正しくブータン王国の唱えるGNHが存在しなかった。彼らは自分より上の人に寄り添い下と思える人は全て切り捨てて生きてきた。もちろん隣人を助けたりはしない。人の心の中を問うことなく、思いやることもなく、人様の悲しみも苦しみも思うことなく、高慢ちきで傲慢な自身の生活を人より偉い人間と勘違いして生きている、・・・と言う見本のような一家族の末路である。程々の貧しさはありがたいものである。人間を決して傲慢な高慢ちきな人間にならないように守ってくれるから。

ブータンのGNHについてはあゆみ野四季の道よりhttp://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/2395-gdpgnh-ea7.html
  


人のおごり・島田神助さん事件より

『破滅の過程梅原猛著・日常の思想より』抜粋
一人の人間が破滅する時には、必ずそれに相当する過程をたどる。破滅は多く、思い上がりから起こる。苦労の結果、やっと人がある地位についた時、一瞬心の中に安心感と共に、悪魔の声が目覚める。『俺は偉いのだ。俺は何でも出来るのだ。』そういう声と共に、想像も出来ないほど彼は、軽率になり、地位を利用して、私情を満たす。

しかし、破滅は決して一度の愚行に起こらない。なぜなら人は、過去の経験の目でもって見ているので、一度の誤りによって光栄ある歴史を持つ人を疑おうとしないからである。しかし、その人が誤りに固執し、さまざまな詭弁でもって、自分の誤謬を正当化し、彼に忠告する人々を遠ざけ、かえってその人たちを誹謗中傷する時、彼の破滅はかなり決定的となる。そして彼が最近知りあったばかりの、あまり信用出来そうもない人物と結んで、さまざまな画策をし、長い間彼と親しんできた友人や部下を不利に落としいれしようとする時、彼の破滅はもはや避けることが出来ない。

彼は彼の行動を忠告する声にも全く耳をかさず、周囲の状況をも全くみようとはせず、一目散に破滅に直行してゆく。たった一度の誤りを誤りと素直に自ら認められないために,老いて、友にも見捨てられ、部下にもそむかれ、ただ一人、破滅の道を歩む人の惨めさよ。神あれば、神よ彼に正しい道を教え給えと思うのであるが、破滅してゆく人間の心の奥には、神の心すら全く届かない深い闇があるように思われる。


最近の事件では島田神助さんを思い出す。

小さいことでは、人に忠告する、人から忠告をされる。その時自分は忠告された事にどのように反応する人間であるか。表向き頷きながらも、このことを恨みどこかで足を引っ張ってやろうと手ぐすね引いて待っている人間もいる。その忠告が如何にその人にとって大事なことであるか考えるすべもない。

だんだんまともな人は離れてゆく。2・3度の忠告で後は笑って見過ごすばかりになる。気がついた時には、愚か者か深く物事を考えることが出来ない人間ばかりが周りにいるようになる。忠告された時、心から『有難い』と思い『ありがとう』といえない人は悲しい。

今年の春までカウンセラーを仰せつかっていたリトアニアからの留学生である。私のお誕生日に、素敵なXMASカードを贈ってくれた。さて、私は故国に彼女が帰ったあと、彼女の誕生日には何もしてあげなかったので、クリスマスプレゼントに彼女の好物であったお味噌を送るべく、他に何が欲しいかメールを送った。カレールーと海苔と返事がきた。私は航空便で送るのに、出来るだけ重量を軽くするため、スーパーをはしごで半日かけて適当な品を探し出し、粒状の味噌汁と、粉末のカレールーと、一口大に切断された大袋の海苔を買い込み、なるべく重量が増さないそれでいて型崩れしそうにないダンボール箱をやっとで探し出し、安い郵送方法を探し出して、かの国へ郵送手続をした。が、ここで問題があった。彼女の数字は、1と7と9が区別できず、3と8も読めないので、私は幾度も注意したことがあった。

『日本では、小学校の先生は、字が丁寧且つきれいで、驚くほどなのに、貴女はこんなで、学校の生徒や父兄から文句は出ないの?』と思い切って言っては見たものの、全く無視されたものだ。しかし、彼女の住所を記したどれを見ても、はっきりこれはといえるものはなく、だから、私からのプレゼントは、必ず彼女の元に届くかどうかわからない。メールで、クリスマスプレゼントに、これらの品を航空便で送ったこと。カレールーを使わないカレーの作り方を説明したところ、『思いもかけないプレゼントに私と母は大喜びです。母も日本の味噌汁とカレーライスが大好きなのです。』と、即日に返事がきた。

彼女とお母さまの手に取るように喜んでいる様子が伝わってきた。私はケニアの少女とリトアニアの彼女には、自署でなく、パソコンで活字にしたものを貼りつけている。幾ら丁寧に崩さずに書いてもパソコンで打った活字にはかなわないから。自分の字は誰でも読めると思うこと事態も長年教師をしてきたおごりであろうか。小さいことではあるが、小さい立場の人でもおごりがある。偉くなった時に、島田神助さんのようになってしまうのだろう。何処で線を引くとはならないから、己が小さい時から≪年齢ではない≫おごりが無いように努力せねばならない。
  


簡単に犯罪を犯す人間の環境とは?尾宗秀さん事件より

今私達日本を取り巻く問題。
犯罪が多すぎる。すれ違った唯それだけの理由で簡単に殺人をする事件の多さ。働こうとしない若い人たちの増加、生活保護という制度が働ける若人を甘いせりふで誘惑する。政治の不信、政治家の腐敗。放射能汚染、更には処分の問題が全く解決されていないにも拘らず、原発を推進しようとする政治家、政府関係者、電力会社並びに原発推進者の多勢。放射能による汚染を隠し、被害を拡販させている政府関係者諸君。目先の経済発展のことのみしか考えられなくなってしまった拝金主義者・・・でも日本人が拝金主義者であったがために日本の経済発展があった。

今まで数回に書いてきた堺市尾崎宗秀さん殺害事件。まず疑われている容疑者が西口宗宏。まだ警察から疑わしいと言うだけで、犯人断定はされていない。ここで気がついたのは、お札に家賃集めた人又は尾崎さんの唾液がついているのでは・・・と思う。よくお金を数える時、とりわけ年配の男性は、時々指をなめる癖の方がある。堺市警察署に連絡できる方がいらしたらお伝えして欲しい。

真面目に日本をそして自分たちの未来を考える時、上記に挙げた種々の問題抜きには、現在の日本を語れない。でも何でこんなになってしまったのでしょうか。年金問題ですら、60歳よりり受給であったものが最近は70歳という声まで出る始末。これから先の若い人たちがもらえないかも知れない・・・・とんでもないことです。でも今80歳前後の年金生活者の50年以上前の月給は一ケ月数千円でした。例え40年間年金を納めていてもその合計は、数十万円にもならないでしょう。それが日本人が長生きしてしまい物価が上がり、一般人の年金支給額は毎月20万円、一年に240万円として20年間支払っていれば4800万円です。国の年金基金が不足するのは当然のこと。お役人がこの単純計算を、小学生程度の算数計算を当たり前にしていれば何時か基金が不足することに気がついたはず。でもバブル絶頂期のとき、先のことは考えずに、厚生年金基金を取り崩し日本中に莫大な不要な箱物を作ってしまった。現在も年金支給額を数パーセント減額といっていますが、今年金を支払っている若い人たちの将来を十分考慮して欲しいと思う。

今の日本の混乱振りを嘆きながら凡そ30年前に書かれた梅原猛書《日常の思想》の中に、この日本の衰退と混乱を予測するかの如くの文章を見つけ、私はとても驚いている。さてこの書のなかに、子供の育て方に注意を促している。一部を抜粋すると、

『今でも私は、時々倉に入れられた夢をみる。まっ暗い倉の中で出してもらえない夢である。原因はひどく小さいことであった。ちょっとしたウソをついたとか、人のものをむやみに欲しがったことであったと思う。けれどこうした小さな過失を母は、絶対に許そうとはしなかった。母は徹底的に私の過失を責め、こらしめに倉に入れた。私は、恐怖におびえ、二度とウソをつくまいと心に誓った。その母は養母であったが、食うものも食わず、着る物も着ず私の養育に全力を注いだ。しかし道徳だけは別であった。いささかのウソも母は、決して許そうとはしなかった。(以下少々省略)私は、現代の親は道徳のためにこんなに子供を叱るかどうかを訝しく思う。現代の母親も父親と同じく子供に関して余りに寛容である。我々の道徳的バックボーンは、戦後の価値変革のために、へなへなに折れ曲がり、かえって時代の変化と共に自由に生きる功利的な知恵を発明した。こういう親に育てられる子供はどういうことになるのか。子供はおそらく親以上に道徳的確信を持たない。彼は一切の道徳を認めず、ひたすらその本能と欲望に忠実な人間となる。明治時代は、私は、科学のために宗教を否定した時代であると思う。昭和時代は、私は生産の為に道徳を否定した時代になるのではないかと思う。宗教と道徳を捨てた人間はどこへゆくのか。それは倉の中より、もっと暗い暗い闇の中でなかったら幸いである。』(梅原猛1925年生・哲学者)

この書を読むと、政治家の質の低下も、理解できぬ犯罪もなんとなく起こるべくしておきた・・・・ということかも知れない。昭和57年、著者57歳のときに書かれた書である。今の世をどんなにか嘆かれておられるであろうか。

私が子供が小さかったとき、子供を叱るのをみて、せせら笑う大人がいた。子供を叱らないで育てるのがここ数十年流行らしい。『我が家では子供を叱らないんです』等と自慢げにおっしゃる親たちも多い。また勉強以外は何でもよいと思っている親たちも。日常の道徳、生活全般に親自身が注意を払っていないのだから、子供を叱れるわけがない。ただ叱らないで子供を育てることは、自慢するべきことではないのだが。高学歴、難しい難関な試験を経て勝ち取った職を辞さねばならないような犯罪を犯す人たち。親自身の道徳観が子供に与える影響は大きい。
  


親の心子知らず・親と息子の葛藤

同級生U君のご長男Hが既に売買が確定している契約書の調印に事務所を訪れた。この売買の中古住宅は、元従業員に社長であったU君が600万円援助し連帯保証までしたが、病死され、600万円の他に債務の返済までさせられ長い間銀行とトラブっていた物件である。酷い事に借り入れの際に入った生命保険は従業員が無断で解約していたらしい。恩を仇で返されたとは、このことである。そのため全ての負債は、連帯保証人の社長に請求された。

U君は既に現役を退いて会社を子供達に委ね、二人の息子さんと娘さんが経営に携わっている。既に年金年齢で悠々自適の身ではあるが、若い時より身を粉にして働き・・と言葉の通りの一生を送ってきたU君。会社経営に一切関われなくなってしまった現在は、気楽の域を通り越し、寂しい様が言葉の端端から滲み出ている。取引している友人に因ると、余りに煩く世話を焼くので、息子さんに会社からシャットアウトされてしまったという。

彼から相談された不動産は、既に購入者も決定し、銀行融資もOKとなり最後の印を押して頂くに当り、社長である長男に説明してほしい・・・と申し出があった。父親の『子供に不動産取引を経験させたい・・・』という親心が、手に取るようにこちらにも伝わった。さて、お二人のどちらかの息子さんとは、こちらから仕事を依頼したこともあり、相談のお電話を頂いた記憶もあったが、彼とは初対面であったらしい。彼の主張は以下である。

『親父は、文句ばかり、怒鳴ってばかり、何をしても怒る,昔〔仕事辞めたい〕と言ったから、希望通りにした。今更もう少し仕事したいと勝手なことばかり言うな!そういう風に俺を説得する様にって頼まれたのでしょ?』

何を父親に代わって私が発言というのではない。若社長から見ると、私の親の立場での発言は、父親を庇ったことになるらしい。興奮するばかりである。

【彼の会社の状態を説明させて頂くと、この不景気時でも現在仕事はどんどん注文をとっている。発注先は、超大手大会社ばかり。父親が一代で築き上げた某工場を販路拡大し、私から見ると飛ぶ鳥も落とす勢いではある。従業員も数十人、驚異的な発展ではある。】

話を聞いているうちに、次男は父親と適当な距離を置いて仲良くしているようだが、ご長男とは、犬猿の仲であるらしい。必ず父親のことになると激しくなる。この父親4月16日のブログに書いたU君ではある。Oからスタートし、多くの従業員に援助し人助けもしている。自分が中学を卒業して、丁稚小僧時代に彼を見込んで1000万円を無期限無利子で援助してくれたその恩義あって今の自分がある。だから自分も若い人に援助を惜しまないで・・・と従業員が家を購入する際には、必ずO百万円を無利子で貸し、連帯保証までしてきた。当時の1000万円を今の貨幣価値で言うと・・・・6・7千万円か・・・等と、私たちは、同級生同年齢であるが故に、その年代を思い出して2日前に語り合ったばかりであった。

多くの従業員の面倒を見てきたが、その恩儀を理解してくれたのは、Oさん、私がブログに書いた人だけであったそうだ。後は当然の如くに数々と裏切られたりしたこともあり、これを語った彼の横顔は一抹淋しそうな風情であった。堕落した社員を多く見て来たゆえ、息子さんにも厳しく当たったらしい。ゆえにいくら私が父親を庇っても、ご長男【頼まれたのでしょ?】の一点張りであった。若い社長何かと心配はあるらしい。父親の同級生である私に自分の心配をおっしゃった。現在の飛ぶ鳥を落とす勢いの彼にとっては意外な質問ではあるが『万一、銀行から差し押さえされた場合には、どうしたらよいの?』

過去にあった危険な体験、恐ろしい危ない取引、それも私から恩義受けた人の取引、普通なら数千万円を詐欺に会う恐ろしい取引、それらの幾つかを上手く切り抜けた経験を彼に話した。大金が流れることに伴う危険(新聞に載るような〇〇〇億円ほどでは無いが、一億円に近い〇千万円は、中小企業の私たちには大変な数字である。)の幾つかの例を名前を出して話した。彼の顔色は驚きで蒼ざめていた。

父親が会社を経営されていて、経営内容が厳しくなると、銀行では若い息子さんに連帯保証又は連帯債務をさせる。日を経たずして会社が倒産し、若い息子は破産せねばならず、勤務会社を辞めざるを得ない事例も幾つか見てきたと。こんな悲惨なことは無いから、ここまで銀行に求められたら、父親に破産してもらい、若い息子は絶対破産に巻き込んではいけない・・・・と。

と彼の顔は、この話の破産された他所の息子さんの話に大きく同情されたらしい。『酷い話でしょ。若い息子さん一生借り入れもできなくなるし、就職も左右されるし、皆父親の懇願を断りきれなかったらしい』『そこへ行くと子供を怒鳴ったり文句言っても、健全な会社と大きな顧客を息子たちに引き渡した貴方の父親は素晴らしい』と言った時、彼の目に涙が浮かんだ。『文句言おうが怒鳴ろうが、許して上げなさいよ。そもそも来なくてもよい貴方をここに寄こした気持ち考えて見なさいよ。私に一度会わせておけば、もし不動産を売買するとき、相談したいとき遠慮なく来れるでしょ?父親お気に入りの二男でなく長男の貴方を寄こした・・と言うことは、社長は貴方、会社の万一の舵取りも貴方、父親は黙って実行したのですよ。会社の経営、取引先の経済状況、金銭の支払い、何かわからないことあったら遠慮なく相談に来なさい』と。

帰る時の彼の顔は、明るく笑顔もにっこりと手を振って帰りました。親の心子知らず・・・とは正にこの通り。血気盛んな若社長さん、苦労された父親に少しずつ感謝の気持ちを取り戻してくれるでしょう。私の不動産業も盆暗経営者であったら幾度崖淵に立たされたか分かりません。全部その時々の機転で上手く潜り抜けた数々の経験は、私の勲章ではあります。お役に立って嬉しい経験であり、楽しい一日ではありました。

  


目の前のチャンス。どう捉えるかも貴方次第。

当社所有の不動産を購入する方が父親を伴って当社を再訪された。何しろそのお父様は10年程前に購入された宅地が、その至近距離内にありながら、今回娘さんが購入予定の当社所有宅地の3.5倍の価格だったとか。そんなにお安いのは『もしや自殺とかあった土地なのでは・・・・』と心配少々、あとはお値打ちな価額の物件を見つけた娘さんご夫婦の喜び気分の共有であろうか。

それにもまして10年程の間にこんなに値が下がってしまうものか・・・と公務員であられるそのお父上は吃驚されていた。これは我社の努力価格であって、近隣の物件と比較しても破格なお安い値段ではある。

私が不動産業に携わって二十数年が経過しているが、この間に何とかお取引を進展させたいと、売主の方には極力お高い値段を提示する様に努力している。最近では大型電気店などで、これらを『努力価格』などといわれているが、不動産業は購入して宅地開発ともなると、購入価格は、数千万円以上からスタートする。土木工事、上下水道工事、測量などでどれも数十万円から数千万円。業者によると、倍の見積書が提示されたりする。出来る限り、良い工事をお安く出来るように努力し、売却価格を低くする事が、努力価格であり、又人様より良い物件をお値打ちに提供することが、努力価格の功績であろう。

過去を思い出してみると女性≪その家の主婦≫が、『お父さん、この価格で買って下さる方はこれから二度と現れないですよ。私は親にチャンスは一生に一度。その運を逃がさないようにと言われました。だから、今回がその一生に一度のチャンスだと思うよ』などとおっしゃって主婦の肩入れで決まった話は多い。そのチャンスを逃がさず、上手く買ったり,売ったり、貸したりである。

今、パソコンをたたく私の膝の上にいる猫ププちゃん。今から10年前の雪吹雪の夜、アパートへ用事に行った私の足に抱きついて離れなかった捨て猫。どうもアパートの中の子供が隠れて餌をあげていたらしい。雪吹雪の中、車に乗ろうとする私の足に抱きつき放しても放しても又抱きつく。このまま車を走らせるとひき殺す恐れもある。その顔も判らぬ手の平に載るほどの野良猫を、私は飼う意思も無く、仕方なく車の助手席の足元に放り込んだ。

既に辺りは真っ暗闇で強い風と雪が音を立てて吹きすさんでいる。自宅に戻り、主のいない犬小屋に放り投げ仕事に出てしまった。夜遅く帰宅して、『いなければ良いけれど』との私の期待は外れ、その寒い古い犬小屋で私の帰宅を待っていた。

仕方なく暖かい食事を与え、子猫はお腹いっぱいになると大きさは3倍に成った。諦めて猫を室内に入れ、熱めのお湯で体を洗ったが、氷同然のその小さい体は、お湯の中でゴシゴシと洗剤で汚れを落とし、人並みの体温になるのに40分も費やされた。長年の野外生活で耳ダニとお腹の中にはギョウチュウとで、医者通いも度々、痛い注射も幾度か。

今では、理解ある飼い主の下、平穏で、幸せに、それこそ十分に甘えて、可愛がられて幸せ一杯の毎日である。このププちゃんにとって、あの時が、勝負時、一生に一度のチャンス。あの時必死で命乞いをしなかったなら、多分空腹と寒さであの雪吹雪の中死んでいたと思う。

チャンスはそう度々あるわけでは無い。我が家のププちゃんは、チャンスを逃がさず、必死で生き様とした結果、幸せを自分で勝ち取った。私は彼(確か英語では犬はhe,猫はshiであったと記憶するが、ププちゃんはオスであるので)を見ながら、チャンスを見逃さない自分で有りたいと、常々自分に言い聞かせている。ププちゃんが助けられたばかりでは無い。この一際人懐こい猫は、私にも至極の幸せな憩いのひと時を齎せてくれている。

チャンスは何処に転がっているか判らない。チャンスは、今あなた自身の目の前に転がっているかもしれないのだ。でも最後に一言。チャンスと悪の誘いはある点で似ている。これらの区別を間違えると徳原マイケル ウイリアムさんの様な結末に陥る。チャンスをどう捉えるかも貴方次第ではある。

  


秋の志賀高原・おサルと遊ぶ

今日は、志賀高原へ紅葉見物・散策、湯治をかねてRCのお仲間の某ホテルでの楽しい宴会。今年の紅葉は冷え込みが無いため、紅葉といえる程赤くならず一寸がっかりではあった。ホテルから見渡す雄大な景色、澄み切った青い空は、多忙な毎日を一時忘れさせてくれた。

さて、何とも理解できないメンバーの行動。私は、サルの親子がホテル近辺を遊んでいるのも楽しくおサルさん達との、共存とふれあいを楽しんでいた。ところがお仲間の一人が、何も悪さをしていないサルに石を投げる。かなり力こめて、怒りをこめて、必死に投げ続ける。当たったサルは離れるが別なサルが遊んでいる。たて続けに投げている。周囲の男性は、黙ってみている。『サルも遊んでいるのだから。何も悪いことしているわけじゃないし』『そんなに剥きになって追い払わなくても』と私。それでも彼はサルを追いかけてまで石を投げている。相変わらず周囲のお仲間の男性は、笑ってみている。

庭先のクコの木の赤い実の端では、あの小さい実を夢中で口に入れているサルも。屋根の庇の上で下を眺めている子供サル。私はベンチに腰掛けた。サルに『オサルさん今日は。お写真撮るからね。じっとして』などと言いながら写真をパチパチ。サルも人を避けることなく夫々が喧嘩するでもなく楽しそうに遊んでいる。平和な一時ではあった。

信州の志賀高原サンバレーの午後のひと時。時々奥のホテルに行く車が通るだけ。その間も彼は、体をあちこち捻って夢中で石を投げ続ける、相変わらず周囲も笑って眺めるだけ。私はふと思った。公園等でホームレスに石を投げ殺してしまう少年達。同じ事なのではないかしらと。

何も悪さをしていないサル達をあそこまで何故目の敵にするのだろう。私は不愉快なのでその場を去った。美味しい食事と美味しいお酒。楽しい宴会の最中も彼は『今度はOOを持ってきて絶対サルを捕まえてやる』私は何かこの品の無い、えげつないNさんにギャフンと恥いる何かを言って、もうこれ以上お酒の席でまで、こんな会話を聞きたくないと思った。『Nさん、貴方のご先祖は余程サルに苛められたことがあって。貴方の体に、サルを見ると苛め返さずにはいられないDNAでもあるのでしょうね』と。

それ以降彼は二度とサルの話題はしなかった。楽しく日向ぼっこのおサルさんを攻撃するNさんは、普段彼を周知する私としては、らしい振る舞いですが、恥じ入る心はあった様です。公園で社会の弱者であるベンチの老人を殺した・・・等のニュースは時々あること。自然は誰のもの?自然での動物たちとの触れあいは楽しい。母サルは、子供を私に?さらわれたら大変と、写真を撮っている小さい赤ちゃんサルを抱きかかえて去ってゆく。

弱者を苛めたり侮ったり。人が見ていなければ、障害者・老人なども平然と当たり前に苛めたり差別したり、残虐な人々も残念ながら多い。

お仲間が持参した差入の日本酒、玄関前の草むらにおいてあった物、早速サルが抱き上げて持ち逃げしようとして落として割ってしまったそうである。サルは日本酒と知っていたのかどうか???これも宴会での話題でした。


         


ゲイの独り言

僕は物心ついた時、同級生の男の子達、クラブの友人達の素敵なボーイフレンドと会話したりすると胸がドキドキし、彼らとBest friendになりたいと、心はその事で何時も夢中。勉強する事?大好きだよ。大概のスポーツも大好きだし全般に運動は何でもいける。どんな彼氏が好み?・・・・・。まず、外観一番ね。スタイル。今の好みはボデイビルで鍛えた上半身、しまったしなやかな肢体、ルックスも、肉感的に訴えてくるもの。職業や経歴?余り問題にしていないよ。だから希望の相手を求めて仲間が集まるスポットに行くよ。僕の好みは胸毛がふさふさで、ワイルドなタイプ。でも折角お気にいり見つけても中々永くは続かない。好きになるタイプは、皆大体同じだから取り合いになってしまう。自分の国で嫌だったこと?女性達。僕の国では女性は浮気性が多い。だから余り好きになれない。ダンナいるのに浮気しているのが多い。日本に来てから?デイスコで踊っていても、どこに行っても僕に言い寄ってくる女性が多いのには耐えられない。僕は女性には全く関心が無いのに。僕は今の自分とってもこの様に生まれて幸せだ・・・と神様に感謝している。

彼はフランスとスペインのハーフ、第三国で誕生、大学卒業の後、大好きな日本に留学。某国立大学(旧制帝大)卒業後同大学院卒そのまま日本の某金融商品取扱会社に勤務。家庭はかなりリッチな育ちらしい。日本文学が専門分野であり、日本人同僚の日本語を『助詞の使い方が変です』とか『正確にはそこをOOといいます』とか、日本人同士の好い加減な日本語に口を挟むことも度々とか。

外人特有の勤務態度、仕事に対する心構えを除外すると、日本人一般より研究熱心、頭脳明晰、客への対応も素晴らしいとか。彼がゲイであることを私の知人にカミングアウト(白状する)した後、やはり外人スタッフ(彼の上司)に話すべきかどうか迷った挙句相談があったらしい。結局、当分は秘密が良いのでは・・・との彼女の助言で会社では秘密事項になっている。

知人と二人きりになると隠す必要が無い安心感のせいか、すっかりオネエ言葉になってしまうそうだ。彼至って仕事ぶりも誠実、ハンサム、紳士である。だから同僚女性達の最大の関心の的でもある。そこが又何よりの悩みの種とか。

さて私達日本にも最近はゲイ、ニューハーフ等皆様色々カミングアウトされる様になり、TVでもこれを売りにするタレントさんも多い。彼らの多くは水商売を職とされる人が多いが、世を偽り一般社会で働いていらっしゃる方々も多いと聞く。普通と違うために秘め事になり、差別の対象になり、場合により多くは苛めの対象になる。だから彼らは隠れてそれらの者達だけのスポットに集まる。

閉鎖的な日本社会では昔からその文化がありながらも飽く迄、秘め事として処理されてきた。近年に至ってはニューハーフとは、生まれた時の体は男性であるが、心は女性、母体にある時の染色体異常が原因とされている。男性と女性の結びつきを正常と捉えるならば、彼らは本人に関係なく生まれつきの病む人々である。

長野県南佐久で白骨遺体で発見された、徳原マイケル ウイリアムさんもそれらの一人であり、彼がこのような習性無く普通の人であったなら、このような職に就くことも無く、ましてや殺されることも無かったであろう。ニューハーフとしてしか生きざるを得ない悲しい性(さが)としか言い様無く、お気の毒な事件ではある。

この友人の別の元同僚男性は、頭の回転も悪く、仕事の能力も低く、見てくれも悪く、異性にも絶対にもてない。普通の異性愛者である彼は、ゲイの友人の話を聞いて『人間として最低』と評価したとのこと。

彼らが一般人のそれと異なる習性を持つ性的異常者であると知った時、貴方は差別するかどうか。

私と友人の意見はかしくも全く同意見であった。要するに習性と社会は別。そのことにより人格否定があるべきでは無いと。最近アメリカでは軍隊にゲイの入隊を許可した。その数が多い欧米において、差別をすることにより、優秀な人材を取り逃がしている・・・・・・ことに気付いたと言う。優秀というだけでなく、性格的にも立派な方々も多いということ。要するに性に対する差別をとると、彼らは普通の人々であるということであろう。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/us/2010/02/post-977.php

  


最近の強い女性の料理する食事とは?

最近健康診断の結果が送付された。年齢を鑑みて当然年齢に応じた少々の障害は何らかの数値になって現れる。努力しても避けよう無い遺伝的なものもあると思う。嬉しい事に検査中に、看護士さんに血管年齢が実年齢より10歳以上若いと驚かれた事。

良いコレステロール値が高いと(HDLが高くLDLは低い)は何時もの事では有る。さて理由はと言われると、単にお野菜料理が多く必ず何品もの野菜料理を食卓に並べている。仕事がある身で毎食毎に、何品も調理しきれない。俄然3~4品は数食分を作り冷凍できるものは冷凍し、同じおかずを続けて食べて飽きる事無い様に、自分なりの工夫をしている。手と時間を掛けずに調理することは怠け者ゆえ得意中の得意ではある。食卓を見渡して、野菜7種類以上・・・・と昔中学の家庭科の時間に学んだ事を着実に何十年も守っている。

そもそもスーパーに行っても、緑、黄色、赤・・・・と揃え、根菜類は保存が効くから買置きしてあるので、台所には必要な野菜は沢山揃っている。大体一時間あれば保存分も含めて、4~5品はきちんと調理できる。魚は毎食、肉ハムは、煮物に入れたりサラダにしたりで毎食少々。豚汁、シチュウ、和風煮物など野菜を沢山入れお鍋に入れて火にかけるだけの料理は必ず何か用意してある。肉類は時々焼肉、唐揚げ、鋤焼などでたっぷり。間食は軽く、果実は毎日。これは食べ切れない程頂き物が多い。

子供の時より、色々な種類を量はたっぷり母親が並べたのでたっぷりは当たり前になっている。その事が野菜を十分摂取しないと満足できない自身の習慣になっている。そんな母親の元で育った私の兄姉は年齢以上に健康である。

さて知人が不思議な病に罹った。病名は知らないが、骨にウイルスが入り若い身で2ヶ月も入院し、数ヶ月経過した現在完治せず今だ通院中である。彼の食膳係りさんは30歳代でありながら血管年齢は30歳上乗せ年齢の数値であったそうだ。彼らの食生活何を食べているか聞かなくても想像が付く。チラリと口から出る会話の端々に、野菜不足、ビタミン不足、偏った食事が感じられる。

さてその食膳係りさん、職業は管理栄養士である。TVでは栄養士OO氏と紹介されて、「こういう病には何が欠けているか・・・」・と説明しているあの女性の職業である。管理栄養士とは、栄養士の上に位置する資格で、国家試験を受け厚生労働大臣により免許が与えられている。主な仕事は継続的に食事を供給する病院などの施設で、利用者の身体の状況、栄養状態、利用の状況等に応じた特別の給食管理及び栄養改善上必要な指導をする。

一言で言うと、傷病者に対する療養のため必要な栄養を指導 する職業である。彼女にとって管理栄養士は職を得るための手段であり、自分の家庭の食卓管理には関係が無いらしい。何しろコンビニ弁当が大好きのようだ。二人の健康状態が悪くても当たり前ではある。気が強く自分中心の彼女に助言をする者も無く、注意されて生活を正すような素直さも感じられず。その家族が言った言わないで嫌がらせを受けるが落ちであろう。だから忠告する事は無理だと思っている。

もう一軒知人の食卓も酷いものだ。時々食事を勧められるが、断りきれず止む無くの時もある。この時はとても辛い。私的には食べられるものが何時も無いのだ。この家庭では診断で50代の夫と子供が高脂血症と言われたそうだ。夕食であっても大概レタスに胡瓜、小さな肉類か魚のどちらか一人前の半分量。しかも今時塩辛く大概不味いのが何時もの事。味噌汁など汁物なしで、豆類が如何に重要かと叫ばれていても、このお宅の食卓に豆類があったのは、夏季に枝豆が有った位。

昼食には一番安いカップヌードルだけの食事を何度も勧められた。こんなもの勧める人もいらっしゃるなんて驚く以外の何物でもない。彼らの子供達は幾つかの塾に通い欲しいものは全て与がわれ、結構贅沢な日常である。裕福な家庭でもある。

健康は薬膳という言葉もあるように、口から入ったものにかなり左右される。この家の食事係りさんは、常に偏頭痛で悩まされている。食事に関係あるかどうかは判らないが。でも別居している息子さんに「ろくな食事を摂っていない」と会う度毎に人並みに注意されている。息子さんは笑って無視していたが、ご自分の料理に疑問は抱かない不思議さ。会話の中で息子さんの方が母親の手作りより栄養豊富なのでは・・・と感じたものだ。

私の場合、健康保険税を支払っても今まで病院にお世話になったことは殆ど無いに等しい。先ず自分で出来る事で自分を大切にする。それは美味しい栄養ある食事を家族に提供する事であり、美味しい食事はギスギスした人間関係を和らげるものだ。30代の実年齢より30歳分高い血管年齢の女性は、何時か脳溢血などで即死か植物人間の様な病に陥る危険は大きい。20代で突然と脳溢血で倒れ植物人間になって十年ばかり寝たきりの女性も知っている。彼女も異常に苛々ピリピリしておりコンビニ専門であった。

彼女の夫といい管理栄養士の夫といい、人一倍人が良く優しい。しかしある意味被害者でもある。こんな恐ろしい妻を持った夫たちは怖くて何も言えないらしい。最近の日本の女は強い・・・といわれるが、彼女達が強い代表であるなら日本女性の質が落ちたということだろう。

幾ら毎日良い食事を摂る努力をしても、セシウム入り食事はこれらの努力を根底からひっくり返すものであり、味に現れないからこそ恐ろしいものだと思う。

  


社会参加できない若者をつくったのは私達の責任

ロータリー会長として、当市の色々なイベントや会合への招待が来ます。普段自分に関係ないと言うことで多少関心があっても、素通りしてしまう様々な事。何時も多忙で、遣り残しのお仕事が気になる毎日。だから誰しも、中々後を振り向いてとは行きません。

嫌々ながら仕方なく受けている会長職でしたが、視点を変えると会長だからこそお誘いが来る色々なイベントや会合のお誘いでもあります。出来る限り出席してみようと気持を転換。一年経ったらその様なお誘いは来なくなるのですから。初っ端、当市の高校再編会議に出席してきました。何時も何か意見を言ってしまい目立ってしまって反省です。

既に20回の会合で概要は煮詰まっており、大筋のプランは決まっておりました。当S市にある企業と連携した職業訓練なども併設され、中々良い方向に進んでいるとは思いましたが。さて、何時も前向き、進む事ばかり、もっと前に、もっと効率よく
・ ・・・・・と一生懸命考え抜いたプランですが。私には、何か忘れ物があるのでは?と

≪登校拒否の生徒達をどの様に導くか・・・≫将来社会参加できない人間を作らない、ある一定の年齢になったら自分の生活費のために働かなくてはいけない。健全な若者が労働しないで日々をおくる事は何より恥ずかしいこと。働いた後の食事は美味しい。生活保護者が今のまま増え続ければ、今に社会は破滅に向かいます・・・には皆様随分驚かれた模様。

基本的な当たり前な事ですが、家庭で教えられなければ社会が指導するしかありません。この様なある意味後ろ向きな社会活動をしないでいると、何時かその付けが健全に働いている社会人に反ってくるのです。入学時既に数パーセント、卒業時更に増加し中途退学者も出ます。

社会から取り残された方達のことを決して忘れてはいけないのです。健康でいながら生活保護を受ける人を見て、堕落した人間は、それなら自分も働かないで真似しようと、少しずつですが性根腐った人間が増加してゆく。だから常に社会が、学校がこれを恥と言い続けなければいけない。それ程今日の日本人の中に、悪知恵ばかりある人間が存在するのですから。

私の質問に何時も前進ばかりの学校関係者は、全員沈黙されてしまった。全くこれらの問題については考慮されていなかったらしい。何時も前ばかり、急いで、・・・・は私自身の若い時の姿でもあり、今はもう少しゆったり生きてきても良かったのでは?と多いに反省しております今日この頃ではあります。
  


過剰消費見直す事はゆとりの一時を得ることでもある

昨日の信毎夕刊に鈴木孝夫氏による≪過剰消費見直す機会に≫を読んで。同じ様な心もちで生きていらっしゃる御仁がいらっしゃる事に多少なりほっとする一時を感じたものでした。私なりに付け加えて書かせて頂くと、原発の問題、電力の問題、結果無駄な照明を極力減らす生活をしています。便利な電気製品による生活は手放せない事が多く、先ず違和感無く出来る事は、無駄に照明を点灯しない見ないテレビは消すこと。

その結果、数十年前の子供時代の何ともいえぬ穏やかな懐かしい日々を思い出し、心地良いある一時に浸る楽しみを発見した。子供時代の事、夕暮れ時、既に太陽が強い日差しを放たなくなった頃、東向きに開いた大きな窓の外には太い何十年経た椎の木から心地よい風が顔を優しくなでる。

私の生家は森の中の一軒家のごとく人家からやや離れた家で周囲は樹木におおわれていた。窓の下は大きな地袋があり、畳一畳半の広さが有る。そこに座布団を敷いてお腹にタオルをかけて昼寝を貪る日ゝであった。目線の横には太い樫の木が触れば届く程近くにある。どんぐりも拾った懐かしい木ではある。その顔をなでる風の感触でお昼寝からガバッと起き上がり、あわてて読んでいた続きの本をまた読み始める。本は終戦後数年のことで中々新しい書物を親に買ってもらうという意識すらなく、良寛さんとアメリカの漫画を何度繰り返し読んだことでしょう。

英語は5・6歳に解る筈も無く、ある時7歳だったと思うが従姉妹の大学生のお姉様にソフトクリームをご馳走になり、漸くアメリカ漫画が多少納得できた・・・・・。内容は何度も繰り返し読むので頭にすっかり入っているのに、何か魅力的なソフトクリームが見たこと無い私には解らなかったのだ。それまではキリスト教系幼稚園児だったので、イエス様の絵本だけが読物であった。

小学3年以降になると座敷の次の間の本棚にある『世界地理付属』全巻を読破。里見八犬伝もあった。確かチャタレー婦人の恋人(又はボヴァリー婦人の恋人のどちらか)もあった筈。全て父親の昔の書物ではある。難しい本も『てふてふ』ではあるがカナがふって有り、他に読むものが無いので何でも読んでしまった。

あれから60年近く経てしまった。今では、太陽が地平線近く室内はやや薄暗い中、好きなCDを聞きながら気にいったカップで
美味しいお茶を頂く一時を何よりの贅沢と楽しんでいる。経済が好調であった頃には、間違っても味わえなかった一時のゆとりではある。

不景気な中、中々仕事も思ったようには行かない。取引先の若い方達の将来への心細さが手に取る様に感じられる今日この頃ではある。昔順調であった分だけ苛立ちは大きい。ここ数年時勢に馴れる様に自分を説得はしているが、世の中悪くなるばかりではある。

先が見えない世界恐慌に向かっているのでは・・・・と感じるニュースでもある。鈴木氏は『大震災をきっかけに、日本は経済発展ばかり追うのは止めるべきです。電力などの過剰消費を見直す良い機会です』と述べていらっしゃる。家電商品は何度も修理して使い続ける。流行遅れになった衣類は、再び流行するまで取っておく。とも書かれている。私は仕事柄、不要物に遭遇する事が多いが何時も出来るだけ欲しい方に使って頂く努力はしている。

鈴木氏はこうも仰っている。≪日本は国土が狭く、人口も中国やアメリカよりも少ない。資源も乏しい。『超大国』になる必然性はありません。大国幻想にとらわれず、身の程を知った『中くらいの国』を目指せばよいのです≫。と  


浪費家の遺伝子

ギャンブル依存症もDNAに因ると言う学会発表がミズーリ大学Wendy S. Slutske博士らの研究によりArchives of General Psychiatryに掲載された。私は《さも有りなん・・》と一人ほくそ笑んで記事を読ませて頂いた。何せ私の父方の現在生きていらっしゃる80代90代の叔父叔母達も、事ある毎に祖父の弟である大叔父と中国で無くなったM男叔父を『遺伝だから』と仰る。私の母も博打好き浪費家は遺伝・・・と生前口癖であった。

私にもその部類の遺伝子が多分に持ち合わせている様に感じる事があるが、母親の系統は又その反対のため何とか身を崩さずに今日まで生き永らえたと思っている。何しろ台湾に追放の大叔父U次郎さんは、今に思うと何で台湾だったのだろうと不思議に思うが。彼は明治3年生まれ。当時では珍しく今で言う東京外大を卒業されたと言う事だ。専門が中国語だったのだろうか。だから芸者遊びに現(うつつ)を抜かし、亡き生母の実家から受け継いだ山林小作地諸々を殆ど借金のかたに無くしてしまったが、養子であった曽祖父は呆れ果てて二度と日本の地を踏むな・・と言い聞かせ、娘二人は叔父である私の祖父が親代わりとなり曽祖父に育てられた。

中国で銃殺されたと言う勇敢な事で名を轟かせてたM男叔父。この方もお金の遣いっ振りよろしく、母は、『M男さん毎月の小遣い200円(と思う。金額は不詳)お祖父様から毎月貰っていたらしい。200円は中学の校長の給料と同じ金額』と度々聞かされていたが、矢張り叔母たちも今同じ事を仰っているのを見ると親が嘆いていらしたのだろう。二人とも芸者遊びが大好きで、と言うより遊び上手な芸者さんに夢中になる素質だった様だ。

昔の事になるが、父がお酒を飲むと思い出したように懐かしく話していた事。それは『M男が某芸者さんに熱を上げて結婚すると言い出さない内に、このお金を手切れ金に渡して別れて貰うように』と今で言うと200万円程と父は言っていたが、それは今から50年前の200万円で、今から70年昔の話ではあった。父がその新聞紙に包んだ札束をスーツケースに入れて、遥々その芸者さんに東京まで会いに行ったという。アッパレな芸者さんで『私はこんな浪費家と結婚するつもりは全くありません。結婚するならもっと堅い真面目な方を選びます。ですからこのお金は不要です。どうぞお父様にお返しになって下さい。』と言って絶対お金を受け取らなかったと言う。

父は芸者と言えども大した女性だ。と矢張りその芸者さんの事を、誉めちぎっていた。そのM男叔父は学生柔道の選手であったが、体重が増えてしまい学生相撲に転向し全国大会で優勝されたと聞いている。美男子で黒澤明監督(これも名前不詳)に映画俳優にならないか・・・と誘いもあったそうだ。もっと正確な詳細を知りたくても父親は既に亡くなって三十数年になる。きっと祖父の弟のU次郎大叔父も美男子だったのでしょう。芸者さんにさぞかしもてたのだろうね・・・と私達は言い合っている。それ程の浪費家も他にはいないが、又M男叔父ほど世間に人気が有った身内もいなかった。浪費と人気は同じ遺伝子だったのだろう。

  


努力ばかりでは解決しないDNAの問題

最近叔母のお通やでの従姉妹たちとの会話の最中に、一人の従姉妹の様子がちょっと変と私が言い出し、彼女の帰宅後に、体、特に首と肩辺りが硬直して動きが鈍そうなので、≪パーキンソン≫ではないか・・・・と医者に行くよう勧めた。しかし本人もその連れ合いさんも全く病気とは思っていないとのお返事。

結局家に帰り、再度ネットなどで調べてみると、疑いは一層つのり、一刻も早く医者に見せたほうが良いよ・・・・と電話で行くべき医者の専門部門も教えて、さて一週間経過したので、結果はどうなったか電話をかけてみた。≪本人が、病気では無いと言張っていて、未だ医者に行っていない≫そうである。

その病疑わしき従姉妹について、お姉様になる方と話した中で、病状疑わしき彼女もお亡くなりになられた彼女の一人娘さんも、母子揃って中学時代の学業成績は、十数クラスあるマンモス中学で何時も学年一番で、常時市内で片手に入る成績だったと言うことであった。クラスで一番はまあ各クラスに一人はいるから大したことは無いが、学年で常に一番は大変な事。ましては市内で何時も片手に入る成績は中々出来ない。

ところが母子共揃って、几帳面で融通利かない性質と言う事で、其の性質ゆえに、成長してから又問題が色々生じて、彼らは決して幸せではなかった。

子供時代、親の言う事には中々従わず、成績も芳しくなくの方が、成長してからは大らかに世の中を上手く生きている・・・・との話の結果になった。子供時代、親の意思をよく理解し従い、学業も申し分なしの子供なんて、親にとって理想であって羨ましい限りではあったが。

私の母方も父方も同郷なので、曽祖父、曾祖母の生家まで聞き及んでおり、彼らの兄弟/姉妹まである程度は、たどる事が出来る。比較的心身ともに健康な一族とは思うが、それでも色々な特異な性格と遺伝らしきものが見受けられる。

可笑しな事に、曽祖父、曾祖母の兄弟・姉妹に出た遺伝らしき病が私達の従姉妹に出た場合もある。だから、学業成績は取分け優秀だが、融通利かない頑固な性格も遺伝だろうと話の結末は落ち着いた。

何しろ私自身に、曽祖父曽祖母は、8名存在し(これは誰でも8名である)その生家も知り得ている。其の兄弟、姉妹となると数十人になるだろう。一般論では、もう親戚とは言わず、親戚付き合いもない。でも似ていると言われる事さえあるのだから、遺伝とは恐ろしいと言うべきであろう。

私の場合曽祖父曽祖母は、1840年代以降の生まれである。彼らの兄弟・姉妹に似て変った性格であったり、特異な病気もちであったとしても普通原因を遺伝と言い切れるほど、古い先祖の事など知りえないのが一般ではある。もちろん優秀とか美醜とかも遺伝ではある。努力ばかりでは解決しないDNAの問題が常に私達の生活の根底に存在しているのだ。
  


汚いさなぎが綺麗なアゲハ蝶に。見事な変身ぶりの小学校同級生

私の同級生で見事変身したのは、U君ばかりではない。小学校4年~6年時の同級生、Mさんも其の一人である。彼女は、女性であるのと綺麗になられたので、正しくアゲハ蝶のようだと私は何時も感心して見ている。何度も申し上げているが、私達の年代は父親が戦死された方が多い。彼女の当時の家庭情況の詳細について、私は全く知らない。痩せていた事、顔が青白かった事、髪がボサボサして、何時も同じダブダブの古い洋服だった事、父親がいないらしい事。

授業中は、大概の生徒がそうであった様に彼女も全く存在感は無かった、そして何かとよく学校を休んでいた。彼女について可愛いとか魅力あるとかは関係ない言葉であり、一言で言えば、申し訳ないが≪貧乏くさい≫がピッタリだったと思う。給食のパンを同じ方向の級友と交代で、印刷物といっしょに時々持っていった事があった。お姉さんも家にいて、子供心に≪貧しいんだろうな≫とその度思ったものである。微かな記憶では、母親も病気がちだったようだ。中学進学は、二校に分かれたけれど、彼女については全く関心がなかったので、どちらの中学であったかさえ記憶に無い。

30歳を少し過ぎたころ、私は、20年振りに発起人になって、初めての同級会を催した。彼女を見たのは20年ぶりだったのだが、綺麗な全く想像出来ないほどの美人に変身されていた。正しく、汚い幼虫が綺麗なアゲハ蝶になったような変身振りであった。

小柄で痩せ身の彼女が、食べ物も十分無い情況では、正しく栄養失調児童そのものであったのだから。離婚も経験され、お一人でお嬢さんを育て、立派なお花屋さんをお二人で切り盛りされている。時々あの当時の彼女の惨めさを思うと、努力あっての現在の彼女の人生に対して、私は≪頑張って≫と密かに声援を送っている。私の年代では、今更路線を変更することは宝くじでも当たらない限り無理なこと。子供時代の家庭情況≪これは親の力≫とは全く相容れない、自分で切り開いた成功の人生を送られている方は、大概幼少時代には、家庭的に恵まれなかった方に多く見られる。神様は努力された者にはそれなりに、努力に応じた幸せを与えて下さっている・・・・・様に私には思われる。

  


予測不可能な逆転の人生

前にも当ブログに書いたことある中学時代の同級生U君(4月16日付)。この長野県の北信に位置する人口数万人の小都市。昭和30年代中学生時代を過ごした同級生の中でも、父親が戦死した母子家庭は貧しく、勉強して高校に進学を望むべくも無く、授業中の彼らは、只管悪戯に精を出し、親は早く卒業し一日も早く育っていく事を願っての毎日であったと思う。食費だけでも、何処かの丁稚奉公に行ってくれれば生活が楽になる位の希望を抱いていただろう。私などのように、一見恵まれている様に見えるもの達には想像も付かない生活ぶりであったと思う。又当時は、貧しいからと言って生活保護なども無く、彼らの母親が授業参観に学校にいらした記憶さえも思いだせない。

数十年経過してから彼らの中から、何人もの大物が誕生したのだ。他クラスの某は、一部上場のグループ会社のオーナー社長である。同級生のU君は、既に子供達に経営を任せてはいらっしゃるが、会社はこの不景気でもドンドン大きく発展している。パチンコ狂を救った事については、ブログに書いた由。最近会う機会があったので、彼らのその後を訊ねてみた。パチンコはすっかり足を洗い、既に会社勤めは、その息子さんに引き継がれ責任者として働きにきているとの事。元パチンコ狂さんは、多忙な時だけ簡単な作業時に来てもらって働いているよ・・・・と言う事だった。

同じ同級生に工場を派手に経営されていた家の娘さんもいらした。中学を卒業した後U君は、数年そこで丁稚奉公も経験している。彼女の家は戦後成金として近隣では有名であったが、人使いが荒く、情けが無いと評判であった。私には仲良しの友人の家であったが、当時はそこで一度でも働いた者達は、『経営者は従業員の前でも差別的で』とは、ちらほら耳に入ったものだ。

又別の同級生の夫は、一・二度其の成金二世に豪華極まりない接待を受けたが、余りの傍若無人な発言に、接待を受けている自身が惨めで悲しくなった・・・・とも。成金友人の姉妹は、『結婚相手に求める条件は?』との問いに『デパートに行った時同じ目線の人?』と言われた時、若い私には、≪目線とは身長のこと?≫と意味が良くわからないでいた。彼らの家庭レベルが良いと思っていない私には、其の時姉妹が仰ったレベルとは何のレベルだか全く理解できなかった。彼女は今にして思うと、20代にして、既に舞い上がっていたのだろう。

更にそれから数十年経過した≪現在私は60代ではある≫彼らが経営されていた企業は全て倒産し、子供達の家も全て処分されてしまった。派手に暮らし、従業員をこき使っていた生活は二度と手に入れることは無い。彼らに体を痛めた労働は無理である。兄弟に頭の良い子も全くいない。(全員大卒ではある)彼らにあるのは、楽しく豪華にお金を遣うことのみ。このことが彼らにとって何より不幸なことなのだ。接待を受けたがために、惨めを味わった友人の夫は、何時も彼らを心配してこのことをいう。

数十年後に逆転してしまった彼らの将来をだれが予測できただろうか。
  


インド盗賊の女王プーラン・デビの真実を見て

≪世界のこわーい女≫シリーズでインドの盗賊プーラン・デビのことが放映された。インドヒンズー教最下位カースト シュードラ(隷属民)の出身であった為、幼少時より貧困と差別の中で大きくなった。バラモン(僧侶)、クシャトリヤ(王侯・武士)、ヴァイシャ(平民)、シュードラ(隷属民)これは私達が学校で習ったインドヒンズー教の階級制度である。最近それ以下の不可触民・アチュート・ダリットがあることを知った。

最下位に属する不可触民は、民族的には古代よりインドに居住していたドラヴィダ民族で、後にインドに移住してきたアーリア人達により身分制度が制定され、前居住民は最低の地位に定められ、職業までも指定されてしまったと言う事≪少々違う説もありますが、2・3千年前のことですので≫です。不可触民は、ごみと人間の屍を始末する等の職業、しかも親の職業は、必ず子供に引き継がれ他の職業に就くことは禁じられているとか。

昔私が学生時代の、40数年前のことです。インドから全く日本語が話せない青年が来ていてホームシックになっているのでお友達になって欲しいといわれ、もう一人の女性と会ったことがありました。彼は、インドの中でも最高位の家系出身と言う事でした。私の微かな記憶では、名前を見ただけでインド人なら家系が分る・・・・と言われ、当時使用していた英和辞典で調べたら(いまだに其の辞書はありますが、お名前は全く忘れてしまった)先ず日本語で言うと≪神・王≫次が≪最高位・皇帝≫と同じような意味が幾つか並べられたものでした。若い20歳代の青年の名前にしては、似つかわしくなく私なりに≪神・皇帝・最高位・これ以上なし≫の様な、インドという国は、面白い名前が付くもの・・・・・と。

其の時彼から聞いて驚いたことは、『結婚は絶対両親の勧めた人以外とは結婚してはいけない。』もし、結婚すると言ったらどうなるの?の質問には『銃で殺される』と一言。私達若い娘たちは驚いて、そして何時も難しそうな顔してはいるけれど、余り頭がよさそうでない彼には興味がわかず、慈善フレンドシップはいつの間にか解消されてしまいました。

ここ10年ほどパソコンとインターネットのお陰で世界の情報も手軽に見ることが可能になりました。しかし、インドの貧困と、身分差別は昔より多少は良くなったとはいえ、私達日本人から見ると、其の差別の実態は信じられない酷いものです。

インドのガンジーは、インド独立の功労者ですが、身分制度を否定しても、カーストによる職業は、人間の本性であり、ヒンドゥー教徒はそれを「科学」に仕立てただけ。同じカーストとしか結婚できないという制限も「自己抑制を深める優れた方法」と擁護し推奨したという。

日本の身分制度は戦国時代になると、武士を辞める家系もあり、又新たに武士になった家系もあり、豊臣秀吉は、貧しい農民の子でも天下を取るまでに至った。然るに、日本は身分差別があったとは言え、本人の努力次第で乗り越える事もできたと言うべきでしょう。

インド青年の神、最高位、王、貴族、・・・と名前にまで表現された家系であっても、決して幸せそうな若い未来ある青年には見えなかった卑屈な姿は、彼も身分制度の犠牲者であったのかもしれない。インドの映像を見る度、私より数年年長者であった彼がどんな人生を送られたのか、時々昔を懐かしく思い出す。

ブーラン・デビ


  


何でBlackはいけないんだ!

僕のアメリカの友人は、Blackが理由で日本の彼女の親から結婚を反対されている。
何でBlackだからといって反対するのだ?彼女は日本にいて日本人と恋愛し結婚したいと言ったら、その青年との結婚を親に反対された。それでアメリカに留学。彼女は留学中にBlackのアメリカ青年と恋仲になった。

二人は結婚の約束をしたが、又彼女の親が今度は『Black』だからと反対。いっそ前の日本人のほうがまだ良い?とそちらの結婚話を親に薦められているという。

『何でBlackは、いけないんだ!どうしてだ!その親おかしいと思わないか!』怒って興奮し、荒い大きな息を肩でしながら、『フン!』『Why?』なんて労働する度に、腕に力が加わり足に力が加わり。

日本人はやはり日本人が好きなんだよね。別に君がBlackだから聞いて怒っているけれど、白人と結婚するといっても反対する親も多いんだよ。日本人は第一に日本人次に韓国人、中国人となる。まあ肌の色も同じだし、仕方がないか、となる人多いね。だから、単純にBlackだからといって決め付けない方が良いよ。その家庭によっても違うから。

Cは、興奮の余り、この間一言も日本語は話さなかった。この間2時間ばかり。長いこと英語を話していなかったけれど、随分勉強になった。しかもBlackに何でBlackが悪い?なんて大問題を突きつけられるなんて思いもしなかった。

『Why?僕にはちっともわからない!何でいけないんだ!』日本は長いこと島国だから。何百年と日本人の顔ばかりしか見ていないのよ。黒い白いに違和感があるのよねえ。単純に日本人は日本人ばかりが好きなんだよ。君が怒ってもどうしようもないんだから。君に日本民族のこと言われても、こうして歴史始まって千何百年生きているのに、簡単に頭の中変えられるわけがない』

今から15年ほど前、アルバイトで働いたナイジェリア青年Cとの問答でした。



  


宇宙人てどんな人?!

昨日の続のようなお話になってしまうが、豊かさとは何かと考えてみた。
ちょっと古い例になるが、私は、二宮尊徳の 勤(勤労)、倹(倹約)、譲(寄付) 的な生き方をして一生を全うしたいと望んでいる。まだ希望段階であり、勤(勤労)、倹(倹約)実行中の身で有る。もっともっと働いていたい。それは、せめて日本の平均寿命まで生きられた時、譲を明確にして、子供が相続する分と世の中に残すものを自分の意思で示したいと考えている。

それまでは只管、謹と倹をまっしぐらに進む予定である。倹といっても、毎日好きなものを食し、欲しいものは、程々に身に着けている生活。だから、昨日の遊び三昧の家族を見ていると、呆れるというより、同じ人間なのかと疑問さえ抱かざるを得ない。別に外国旅行が生甲斐ならそれはそれ。只働いて税金を払って、人のために何らかの奉公をして、それから遊ぶのが順番だと思う。

働いていると多くのことを学ぶ。感動する、怒る、喜ぶ、反省する、後悔する、想像する、人間のあらゆる感情が、真剣に物事に立ち向かうほど深く心と脳裏に刻まれる。働くことによって、他人様の喜びも悲しみも共に味わうことが出来る。仕事をとうして、人間はより大きくなり、より勇敢な人間になり、自信も身についてゆく。生きているとは、そういう事を言うのだと思う。全く働かない人にこれらの多種なる感情は沸かないだろう。


お仕事を一生懸命していると、高級品を身につけたり、食したり、仕事に支障を来してまで長期旅行をしたいとは思わなくなってしまう。仕事が順調に、事故も無く平穏な毎日が送れればそれだけで満足である。こんな人間から見れば、彼らは宇宙人のごときである。彼らから見れば私のごときは、宇宙人なのかもしれない。

彼らには、勤も無く、倹も無く、最後に譲も無い。親は子供のためと思って一生懸命働き、家族を喜ばせようと将来のために、貯蓄に励む。彼らの亡き父親もそう思って勤・倹を実行された。でも家族には、勤・倹を強制もせず、教えも無かったのだろう。お金の与え方を間違えると、子供を取り返しつかない不幸な人間にしてしまう。