脳死問題是非・・・・・続・・・・・

梅原先生曰く『脳死問題で私が脳死を人の死とすることに強く反対したのは、人間の死の概念を科学のつごうで変えるのはもってのほか。要するに移植をしたいが為に脳死を死と認めたほうが良いという理由。臓器移植というささやかな医療現場においてのみ脳死を死と認めてくれというならともかく、大上段に振りかぶって脳死を死と認めろという。その背後には科学、医学の大変な傲慢がある。医学のためには人の死すら変えてゆく。だから私は2対13参与を含めても4対16で敢えて反対した。』

五木氏曰く『脳死と臓器移植が同じ調査会のなかで結びつけられてあること自体に不自然をかんじる。脳死は非常に大きな根本の問題で、臓器移植はその中の一部。一部を発送のモチーフにして、そこから脳死が考えられているように感じられることは、本末転倒である。』 上記お二人は脳死イコール臓器移植に反対論のお立場である。

以下はhttp://www.systemicsarchive.com/ja/a/brain_death.html より抜粋
[東京新聞:2005/03/01]より
臓器移植の普及には何が必要か。臓器移植法が施行されてから7年以上が経つが、いまだに脳死移植は年間5件前後で低迷する状況が続いている。このため、自民党の「脳死・生命倫理及び臓器移植調査会」は、最近、臓器移植法を改正して、脳死移植を促進しようとしている。

自民党調査会がつくった改正案の要綱では、事前に書面で提供を拒否していない人が脳死になった時、家族の書面による承諾で提供を認める。年齢制限は設けないため、子どもの提供にも道を開く。また、運転免許証や保険証には提供の意思の有無を記載する欄を設ける。社団法人「日本臓器移植ネットワーク」は、この法改正案が施行された場合、脳死段脳死段階での臓器移植は年間14件程度増えるという試算を出している 。私は、この程度の法改正では、臓器移植が劇的に増えることはないと思う。臓器の供給の不足が慢性化しているため、新鮮な臓器を手に入れようと、医者が患者の救命治療を疎かにすることが問題となっている。この供給不足の問題を解決するには、臓器提供を受けるためには、あらかじめ本人がドナーカードに署名していなければならないというルールを作ればよい。多くの人にとって、脳死後に臓器を摘出されるデメリットよりも、臓器を提供されて生き延びるメリットの方が大きいので、このルールで供給不足の問題は解決する。

しばしば、日本では、脳死を人の死として認める社会的コンセンサスがまだ得られていないという問題点を指摘する人がいる。だが、脳死を人の死と認めない人がいたとしても、それは問題ではない。ドナーカードに署名しなければ、それでよいのである。選択の自由は尊重される。脳死は人の死かという問いに対して、脳死は人格の死ではあるが、生物として人間の死ではないと答えることができる。臓器移植は、将来人工臓器を安価に生産することができるようになれば、不要になるかもしれないが、それまでのつなぎの技術としては必要である。

以上は脳死移植推進論者のお立場の発言であります。何と無くドナーに署名ではなく、又何でも反対でもなく、私達は努力し一所懸命に生きた自身の生の証としての結末を、自分の意思で決定したいものであると私は希望するものです。明日は、世界における又宗教における捉え方の違いを考えたいと思います。



人の死とは・・・続・・・・

脳死と臓器移植について作家五木寛之氏と梅原猛先生の対談の中で、梅原氏が臨調における討論のなか、『人口呼吸器はしているものの、体は温かくて呼吸している。しかもお産は可能。ひょっとしたら人口授精ならお産も可能である。そういう人を死人とするのは実感にもとる』と言ったら、元東大総長が『実感なんかに頼るのは科学では無い』と。私(梅原)は、長い間ずっと物を書いてきて、実感と矛盾しないことを根拠に書いている。実感は非常に大事であり、それを抜きにして科学が成立するのは大間違いだと思う。死というのは一種の儀式であり、脳死を死とすることは、それを医者のみが判定できる密室の秘儀に変えること。今までの心臓死は、「ご臨終です」と言ってから、だんだん冷たくなり、そこで公の死の儀式が行われる。脳死を死とすることは、この大切な死の儀式を消滅させてしまうことである。

五木寛之氏曰く、『脳死だけにしぼって考えると、人間と言うものはそもそも全身的なものだと思う。つめの先から髪の毛に至るまでが人間である。それらと脳はお互いに支え合っているという関係。精神は足の指先にも、心臓にも肛門にも、あるいはのど仏にも存在すると。例えば、大和の側から、二上山のかなたに落ちてゆく落日を、幼い日の恵心僧源信は、どう言う思いで見たかと考える時、陽は徐々に沈んでいって、沈んだ後も西の空には鮮やかな夕映えが残り、それが紫色に変わって、やがて次第に暗くなってゆく。その中間の時間が家族とか周りの人たちにとっては大事なんです。体が冷たくなり、死後硬直があり、皆がそれに対して別れを告げて、儀式を行ってそうして、徐々に徐々に死が周りの人間に認知されてゆく。人間の死とはこういうものだと思う。』(少々言葉を省略)

私が母を5年間病院に預けながらの介護を背負っていた時の死の一ヶ月前、『有難う、本当に何とお礼を言ってよいか分らないほど貴方は私を良く看てくれた。私に対する介護を思うと、私は今まで生きてきた自分の生き様が恥ずかしい』と私の手を握り締めて語った。その後、母は余り口を聞けぬ人になったが、私に対しては手で力一杯握り返して感謝を表した。亡くなる数時間前、母の病室にいた際に、病院の医師が私の立場もわきまえず、大声で勝手な理論をいつものごとく展開した。彼女の大声に釣られてついつい私も大声で返した時、ふと母に悪いな・・・と母の顔に目をやった。ところが余りの大声の会話が耳に入ったのだろう。母は満面笑みを浮かべて笑っていたのだ。母には私がそばにいて大声で騒いでいるのが聞こえている・・・私は直感した。その一時間後に母は亡くなった。



脳死と臓器移植について

臓器移植法をWikipediaから抜粋すると、第6条において、死亡した者が臓器移植の意思を生前に書面で表示していて、遺族が拒まない場合に限り、「脳死した者の身体」を「死体」に含むとしてその臓器を摘出できると規定する。臓器提供意思を有効に表示可能な年齢については、法文には何ら規定されていない。臓器移植の意思を書面で表示するためには、脳死という概念を理解し、臓器提供の意思を明示する必要があり、意思能力が不可欠とされる。

未成年者の意思能力年齢については諸説あるが、厚生労働省が保健医療局長名(当時)で「臓器の移植に関する法律」の運用に関する指針(ガイドライン)として「臓器提供に係る意思表示の有効性について、年齢等により画一的に判断することは難しいと考えるが、民法上の遺言可能年齢等を参考として、法の運用に当たっては、15歳以上の者の意思表示を有効なものとして取り扱うこと」と通知したことから、実質的には15歳未満の臓器提供ができないとされていた。

しかし2009年の法改正により、2010年1月17日からは、臓器を提供する意思表示に併せて、親族に対し臓器を優先的に提供する意思を書面により表示できることになった。また2010年7月17日からは、本人の臓器提供の意思が不明な場合にも、家族の承諾があれば臓器提供が可能となった。これにより15歳未満の者からの脳死下での臓器提供も可能になった

私は幾つかのボランティアを積極的にしていると察している娘は『お母さんはもちろん、死後は臓器移植するでしょう?』とこの法律が制定されたばかりの数年前に突然と言われた。生前に本人確認と了承をとの娘の発言であった。

突然では有ったが私なりにある結論に達していた。答えは『ノー』である。娘は臓器移植を了承しない人間は、人として失格である・・・とでも思っていたらしい。『まさか、お母さんがそんな意見だとは思わなかった』と。冗談じゃない。生きている間一級奴隷と自負しており又税金を支払うたび≪私は、超高級一級奴隷だから≫と、自己を慰め叱咤激励している自身でもある。死後の世界くらい静かに安らかにあの世に生かせてもらいたいものだと常々思っている。

私の父親はもう110年も前の話ではあるが、赤子で生まれてまもなく≪死≫を宣告されたそうである。110年前のことでどの程度の葬儀を上げたかどうかわからないが、棺桶に蓋をし釘をうった後、生母が『赤子の顔をもう一度見たい』敢えて棺桶の蓋を開け赤子を見つめていた時、死んだはずの赤子が動いた・・・・・。その後その一度死んだ赤子は、戦争中は甲種合格となり76歳で癌を患ってなくなるまで、病一つすること無く30数年前に亡くなったのだ。

又死を宣告されてその後奇跡的に回復された方の話としてよくある話であるが、≪皆が泣いて自分のことを色々言っている会話が聞こえてきたと。だから私は家族が意識不明で昏睡状態にある人には、『耳は聞こえているらしいから、飽く迄会話には注意したほうが良い』と忠告している。

最近愛読者の端くれになった≪梅原猛著/九つの対話≫は、脳死及び臓器移植に関する臨調委員として、何としても脳死を人の死と認識させ多くの臓器移植へと方向転換しようとする国家に対して如何に抵抗されたかそのご苦労を伺い知るきっかけになった。早速≪脳死と臓器移植≫を読んでみたいと思う。



貴方の人生・こうならないために

Posted by ayako. at 2012年03月31日01:44 | Comment(0) | 親心
自分の親を罵れば、何時か子供も自分を同じに罵る。
同じく子を持つ親が教師の悪口を言うと、子供は絶対教師に従おうとしない。
見栄をはり、真実を教えず、他人を思いやらない親からは子供は一生真実が見えず、人の痛みもわからない。
他人を思いやる心は、自分が幸せだととかく見失いがちになる。


老いて境遇が不幸になるのは、急になったのでなく若い時からその様な人生をを歩んできた結果。
今私の周囲にこれらを絵に描いたように悪く忠実に生きてきた結果、正にこの通りに人生から滑落しようとしている知人がいる。彼女の若かりし頃は、栄華を極め贅沢の限りを尽くし、誰が今の惨めな人生の末路を予想したであろう。一番に思いもしなかったのは彼女自身であろう。

だから湯水のごとく自己満足の為に浪費をし、世界中を旅行した際にもその地方でしか手に入らない超高級品を買い揃え贅沢の限りを尽くしていた生活。破産したのでもない、病気になったのでもない、突然と同居する家族に家を出て行けと言われてしまった。『顔を見るのも嫌、この世からいなくなって欲しい』と言われ。自宅購入には資金全額提供してあるもう一人の子供にも拒否されてしまった老いた身。

原因は・ ・ ・ 彼女自身が自分を慈しみ育ててくれた親の介護も看護も何もしないばかりか口だけはあたかも尽くした様にうそぶき、振る舞い、親亡き後は自分の我侭勝手に従わなかった親をののしり悪口ばかり。そんな勝手は通る筈無く、何時か同じことが子供から受けるのに・・・・と案じていたら10年経たずして彼女の身に起きてしまった悲惨な現状。

さて、嫁と一緒になって母親を罵る息子も決して一人前でなく、ご自分は一人前と思っていらっしゃるが一般では通用しない。家業として働かずとも幸い生活費はある。このことも彼にとっては幸せでもあり、不幸せでもある。人様に頭を下げお金を稼がねばならないということは、ある意味人を謙虚にそして努力する人間に育て上げてくれる。程々の貧しさは人が生きてゆく上で必要である。貧しかった経験が無い人は、とても不幸であると思う。そんな立場に追い込まれた母親は、世間に向かって息子の嫁が悪いと騒ぎ立てる。世間様は笑っても誰も注意をしない。何十年と人様に偉そうに説教はしても注意されていないから、又注意されても聞く耳持たずのため、今更注意すればヒステリーを起こすか発狂するだけであろう。彼女の取り巻きは、彼女に諂う、イエスマンばかりである。

人様が注意してくれる人は幸せである。見放した時、人は誰もその相手に注意はしない。私は、先生に、上司に、顧客に注意された・・と言う方に『期待されているから注意して下さるのだよ・・・』と言って上げている。

彼女の立場で人生において欠けていたこと。何時もお金は湯水のごとく湧き出る・・と思っていたらしいこと。一年に数回の海外旅行、贅沢極めた衣類、宝石,遊行費のほんの一部を貯蓄するとか或はお金を生みさす資産に変えてあれば息子に出されても収入があっただろう。年金らしきものがあっても贅沢を極めた生活を支えるには到底足りない。

苦労し育ててくれた親を罵る悪く言う、言うのでなく言い続ける、正に狂人のなせる姿でもあった。子供も何時か同じ振る舞いをすると思わない方が思考力不足である。口応えながら子供は親の真似をしていくもの。『子供は親の言うことは聞かないが、することは真似る』娘が小学二年生の時、何かのチラシに入っていたその広告紙のようなものを、新築の家に自分の見せしめとして大きくなるまで貼り付けておいた。そして自分の鏡として常に自分自身に言い聞かせてきた。何時しかそれは私自身の血となり肉となり当たり前のこととなっている。まっすぐ生きている人には間違った道を行く人が可笑しいと即わかるものであるけれど、間違った道を長いこと生きてきた人には、自分自身を見る鏡自身が汚れているので判断できないのが人間の悲しい性であろう。


一日たったの150円の援助で受ける心の安らぎ

Posted by ayako. at 2012年03月29日00:54 | Comment(0) | 福祉
私はケニヤのナイパノイ・ナムパッソちゃん5歳の支援を始めて2年半ばかり経過している。一年に一度のお誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントその際添えるお手紙合計で5.6回の交流であったと思う。送られてくるお写真とその都度の彼女の手形、二人の間を取り持つ代筆のケニヤのスタッフさん。何時しかこのスタッフさんとのやり取りの中、この二人のどちらかが、何時か日本に留学したい・・・とか言ってくることもあるのでは・・・と私なりに淡い期待を胸に、切々とお手紙をしたためていたのであった。

私達の住む日本。色々問題を多く抱えてはいるが、アフリカの常に内紛が起きても可笑しくない、貧しい衛生的な生活も食料も十分でないそんな国の方から見る日本と言う文明が発達し、国民全員が教育を受けられ、例外はあっても貧しければ国が面倒を見てくれる国。数回のお手紙を交換するうち、ボランティアのスタッフさんが、『もっと、色々書いてお願い』とか『貴方のこと、お国のこといろいろお話して』と代筆の立場をこえて私のお手紙写真など心待ちに待っている姿が想像できる様な関係になってきた昨今。今日東京のチャイルドフレンドシップのスタッフさんから突然お電話があった。電話口での沈んだ声で私を確認される暗い声音を耳にして、私は咄嗟に『ナムパッソちゃんが亡くなったのでは?』と感じた。

何時も心配していること≪ルワンダとの内紛で穏やかな生活が出来ないのでは・食事はちゃんとあるのだろうか・飲水は?疫病が伝染していないかしら≫常にこんなことを心配しているので、沈んだ声音は、やはり・・・・と思ってしまった。ところが死因は川で溺れてしまった・・・という。漸く5歳に成ったばかりである。私は彼女が大きくなって英語で直接お手紙が書ける日が来ることを楽しみにしていたのに。彼女を亡くしてしまった彼女の家庭は、日本からの援助が無くなる。毎月4500円の援助金の内、凡そ3400円がケニヤに送金される。ケニヤの物価ではその内の一部でも、家族全員が生きてゆくのに必要な生活費の大きな援助になるのだろう。

電話の向こうの日本のスタッフさんも涙声で『悲しい!』と5歳で亡くなってしまったナムパッソちゃんの死を悼みあった。私の心の中の小さい蝋燭の明かりの様な希望も消えてしまうような5歳の彼女の死。即私は彼女に伝えた。『同じ地域のやはり女の子で、同じスタッフさんが代筆して下さるそんなチャイルドを紹介して下さい』

私は今、ケニヤというまだまだ世界の暖かい援助が必要な国の子供に僅か一ケ月4500円ではあるが援助をしてきた。でもその何時も代筆を書いて下さるまだ見ぬ女性、多分英語が出来る若いケニヤ人であろうか・・・私はお金の援助ばかりでなく彼女に日本の様子・写真などを通して、夢を与える役目もしていたはずであった。

私達日本人は如何に恵まれているか。昨年春まで2年間ロータリークラブで支援をしてきたリトアニア女性、現在帰国され小学校の先生をされている。かのお国の子供達をつれて日本での旅行とホームスティを計画し引率してくると連絡があった。色々文句を言いながら母親のような立場で付き合ってきた彼女である。お手紙の中で『日本は私の精神的支えの国』と表現されていた。そして『つれてきた子供たちは私が日本が好きなように彼らにも日本を好きになって欲しい』と書かれていた。

私達は国家に文句を言い、政治に不満を持ち中々これで良いと全てに満足することは難しい。それだけ文句や不満を自由に言い合える自由な国家の中にいるということ。私が彼らに与えた援助は金銭的には問題にする額ではない。チョコレートやケーキを買うくらいな気にするほどの金額ではない。ただ常に彼らのことを思い必要な助言と心がけはしてきた。そして彼らを通して、日本の国の素晴らしさを感じたものである。一日たったの150円の援助でチャルドスポンサーになることは自分自身のためでもある。これらの援助は、私がして上げたばかりでなく、私にとっても大きな心の安らぎと幸せ感を十分与えてくれたように思う。ケニヤだけでなくアジアの子供も一人里親になろうか・・・・と考えている昨今でもある。



ブータン国王『経験をつんで心の竜を大きく』

ブータン王国は、国民の心理的幸福を指標とする「国民総幸福量」(GNH)を重視する国として知られている。NHKテレビ3月22日放映によると≪世界で発展とは経済をいうが、ブータンでは人の幸せは経済の発展だけで測れるものではない。国民総幸福量とは、国民の精神的幸福と長期的な満足であり安心の確保が重要である≫

そしてGNHとはその人自身の内部にあるものである。以下はブータン国王ジグミ・ケサル陛下が東日本大震災で小学校を見舞われた時のお話の中の一説である『私たちの心の中に竜がいる。竜は私達の経験を食べて生きている。沢山経験をして貴方の心の竜を大きくしてください。』ブータン陛下のお話は、心から幸せを求め国民の幸せを願う国王の真摯のお言葉であり、経済の低迷ばかりを騒ぎ立てる日本人にとってとても薬になるお話であった。

日本人の中にも、経済の発展ばかりが幸せを測るものではないことを十分理解している方達は多い。私もその一人である。GDPと騒いでいるのは誰なのであろうか。ジャーナリズムである。もっと心豊かになれる書物を読み、語れる友人と付き合い、より高価なものの為にあくせく競争心旺盛な人たちを目を細め傍目で笑っている日本人も多いことを忘れてはいけない。

最近私の知人の家庭が崩壊状態であり、何時何が起きても可笑しくない状況であることを知らされた。70歳代である母親は既に私の聞き及ぶ限り精神的に病気状態であり、同居していた若い世代とは断絶状態はおろか、殺人でも犯罪でも何が起きても不思議ではない状況に見える。さて彼らの以前の家庭はどんなであったろうか。

まさにブータンの精神的幸せとは反対の見栄を張った、見栄という文字が人間に化けて衣文賭けにかかって歩いている様に、当時私は彼らを見て感じたのであった。衣類、食事・旅行どれを見ても彼らのお金に対する感覚は、世間一般の普通の日本人が、一生に一度でも経験できない贅沢を平常の生活において、優越感に満ちて行動することであった。

私には大きな勘違いされている彼らが、私のように働くばかりで大した贅沢もせず生きていることをバカにされているらしいと感じることは度々であった。決して羨ましいと思ったことも無く、高価な物をまとい高価な食事を当たり前にすることを一度も羨ましいと感じたことも無くむしろ恥ずべき人たち・・・と私自身は解釈していた。それはそれで彼らの自由なんだから人様に迷惑を掛けなければ良い。心が合わない者たちとは無理に付き合わなければ良い。

その家庭では、人を測るのも社会的地位と学歴と持ち物の価格であり、話題は常にそればかりであった。しかしそんな中で教育された子供は、これ以上無い贅沢な生活と怠慢なる生活で壊れてしまったらしい。それを傍で見ていた周囲も同じく精神が壊れたしまったようだ。正しくブータン王国の唱えるGNHが存在しなかった。彼らは自分より上の人に寄り添い下と思える人は全て切り捨てて生きてきた。もちろん隣人を助けたりはしない。人の心の中を問うことなく、思いやることもなく、人様の悲しみも苦しみも思うことなく、高慢ちきで傲慢な自身の生活を人より偉い人間と勘違いして生きている、・・・と言う見本のような一家族の末路である。程々の貧しさはありがたいものである。人間を決して傲慢な高慢ちきな人間にならないように守ってくれるから。

ブータンのGNHについてはあゆみ野四季の道よりhttp://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/2395-gdpgnh-ea7.html



タイ人女性に懲りない日本人男性

外国人を積極的に雇用しているヨーロッパにおいては、自国民の就労口が減少し、しいてはノルウェーでの乱射事件のような問題を起こしてしまう。問題は(外国人雇用問題)がルーツという。日本は難民受け入れに対し、欧米各国と比較し、大きく遅れを取っている。日本政府の難民受入問題は国民世論の批判を受けて改正された難民認定の流れにより、日本は難民条約を批准し、この条約の締結国は、国際的に難民受け入れの責務が有る。受け入れの拒否は、国際的な責任を果たしていないことになり、日本の国際的な名誉、地位を大きく阻害している。

難民問題ではないが当市にもアジアからの外国人は珍しくは無い。とりわけタイ人に至っては、タイ人専用の食材、衣類、食堂もあるらしい。十数年前であったが、某パトロール会社の男性Tが出来るだけ安い貸家をと訪れた。我が家が契約しているパトロール会社の方で、一見して見るからに人柄が良さそうな方であった。タイ人女性とお付き合いし、蓄えた貯金800万円がスッカラカンになってしまったという。今まで同居していた貸家を退去し一人で暮らしたいと、当会社では例外な特別安価なボロ貸家に入られた。その人の良さにつけ込んでお金を着服したタイ人女性は、『彼が3万円の貸家で彼女は7万円の貸家に入居させて欲しい?』との彼女の依頼に怒ることも無く、聞いた私が『そんなバカな』と拒否した。日本人として当然なこと。

タイ人女性と関係ある話を聞くたびに、『スッカラカンにされてしまうよ』と私は注意してきたものである。4・5日前に貸家に入りたいと日本人男性から依頼され同行した女性は、中々チャーミングな容姿で同行男性と自分の子供二人の4人での生活とのこと。犬を外で2匹、室内で猫を2匹。室内にはペットを飼育できるようにしてあるが、庭は狭く糞尿の始末が悪ければ、即隣人に迷惑を掛けることが必然的に想像できる住環境ではある。

可愛いニコニコしたタイ人女性を悲しませたくない心が一瞬ではあるが私に生じた。曖昧な返答で、家賃保障会社がOKかどうか・・・と返答し、何か年齢的にチグハグな印象を受ける家族の構成に、私は突っ込んだ質問をした。男性は派遣社員で(貸家では、派遣会社員は決して優遇されない)しかも、働き始めたばかりである。なんとなくやわな感じを受けたその男性が一人の時、『数年経った時、貴方の立場は、彼女が今別れようとして関係を断とうとしている男性と同じになる。私の言いたいことわかる?』と問いただしてみた。『将来は結婚も考えているから』どうものぼせ上っている男性は、私の意図がわからず返答した。

タイ人女性は、タイで結婚し今日本で彼女の子供たち(成人)と生活し、新たなる男性の出現によって、古い男の住居に子供をおいて、自分は新しい男性の住まいに転がり込んだらしい。彼女の話によるとタイで結婚した男性、別れる男性、同居する男性と3人の男性との関係というが、ここ日本ではこの様な複雑な関係は珍しいことである。

日本人でもお金が無い、生活の基盤がしっかりしていない方達の中に、沢山のペットを多数飼育する方達が見られる。ペットは、保険が利かず、ただ元気がないから・・・・と診察を受けただけで一回目15000円はかかる。諸々考慮すると、貸家に入居する時、精々1・2匹までが限度なのだ。ましてや一人の男と別れ新たな男性と一緒になる。多分私の貸家に入居しても次は又別な男性を作り移転するのだろう。修理や破損の費用は、ペットの所有者でないお金を貢いで一文無しの男性の負担になる。

私は一般論として、彼女が外人であるかどうかは関係なくお断りすることに決心した。迷ったのは、私自身の中に外人差別と言われたくないものが有ったからに他ならない。お断りしたにも拘らず十数年音沙汰無かったタイ人に800万円貢いだTさんから電話があり、数分後には彼女の娘を連れて『なんとしても貸家に入れて欲しい・・・』と言ってきた。

私が男性を代わる代わる渡り歩くこの状態では入居人として容認できないこと、狭い空間しかない貸家での犬の糞尿の始末によって、ご近所さんに迷惑掛ける心配があること、どうしてもと言うならプラス一万円の広い庭がある貸家にして欲しいこと。当方のこれらの要望に対して、なるべく安い貸家をとの希望なので、我が家には特別安い貸家は扱っていないので、他の不動産業者に行くようにと、又この当社の条件は当たり前のことで何とか特別なる配慮は出来ないときっぱりとお断りした。何とかとか特別にの『なあなあ』は、日本人のしかも法律を基本とする不動産業界では通用しない。

でもタイ人に有金をすっかり盗られる日本人男性は、懲りると言う言葉が無いらしい。もちろんこの女性十数年前にTさんから800万円むしりとった当人でもある。



『ただ飲みただ食いは美味しい』という方達へ

私の知人で若い時から大酒のみの方がいらした。20歳代から親の土地を売ったお金で外車を乗り回し、外国旅行にうつつを抜かし更にはただ酒が好きで、そんな生活を続けた挙句肝臓を患らった。今から40年ほど昔のことではある。一ドル360円時代、余程のお金持ちでないと海外旅行なんて到底無理な時代に遠くはヨーロッパばかりか南米辺りまで度々出かけていらした。

結局20歳代からの放蕩生活は、辛うじて生きてはいるものの今の生活は、働けずお金も無くの人生ではある。生活保護者ではない。農業従事者で先祖伝来の田畑があるから、最低の生活は維持できるらしい。でも家族にとっては、正しく迷惑以外の何物でもない。

田舎では未だに大酒を何よりのご馳走と勘違いされていらっしゃる殿方が多い。町の寄り合いには必ず最期に酒が振舞われる。私が当番役員を仰せ使った3年前のわが町の組長さん(ヤクザではない。凡そ600軒の町の役員の長である)は胃がん末期であったにも拘らず役を引き受けた。多分数年前から自分の順番が来るのを指折り数えて待っていらしたのだろう。町内会の毎月の会費を当番さんが一年分集金し、引っ越される方には多い分を戻すことになっている。毎月の集金は時々の役員さんに重荷なので、一年に一度又は二度に集金し、退去時に申し出て多い分を返金するのだが、その組長さんは、『今年からはそれらの預かり金は返さない。そのために挙手をして頂き、多数決で決定する・・・』と突然と言い放った。

私のように彼方此方に貸家を有し、又は管理するものとして、とんでもないことである。10代の子供どころか孫の年代の若い人たちの預け入れたお金を飲み代にする企み。しかも何年も継続されてきた習慣を自分のお役目時に分けもわからず並んでいる町の地区の時の役員に挙手をさせて。

私は大きい声で、反対を唱えた。『預かり金であって、引っ越してゆく者たちに返さないとは何事よ!』と。私の忠告を聞き入れず同じ台詞を幾度と無く繰り返す同人に二度三度忠告した。最期は、市の部長を歴任された方が『それは犯罪だ』と大声で叫んで下さった。ことはこれで静まったが、彼が退去する人たちの預かり金まで酒の飲み代にしたいのは、見え見えであった。

その後2ケ月して彼が胃がんで吐血して亡くなったと耳に入ってきた。彼の訃報を聞いて同情どころかお腹を抱えて笑い出したい衝動に駆られてしまった。後でお聞きしたところでは、既に癌の末期なのに組長を引き受けたとのことであった。

前回のブログの私の親友も私が招待した時には、たとえ昼飯であっても、必ずその店のずば抜けて一番高額なものを注文された。招待した私が、今日はこの程度で・・・・と昼食に相応しいのものを注文しているのに、私が注文したものより何皿も多いどう見ても食べきれぬものを注文されたのは、些か見苦しいことであった。食べすぎ、飲みすぎ、他人のお金での飲み食いは又美味しい・・・と言うせりふも有るらしいが、こんな方達にとっては,『病魔に襲われたのは、因果応報』というのであろうか。


癌が悪化してしまった友人に対して

がんを完治させるための5つのルール(がんの情報館 代表木村ユウジ)がんをどうしたら治せるのか?「このまま治療を続けていて、再発は防げるの?」「今の治療法を信じていいの?」・・・・と不安に感じている方にお伝えしたいことがあります。にたどり着いた私は早速61頁をコピーし、重要箇所に付箋を添付し、更に赤線を引いた。

今癌が大きくなっています。更なる手術をしなくては・・・と医師より宣告されている方にとって、活字が困難な人でなくとも、気はそぞろになり、目は活字を上滑りするばかりではないか?それならどうしてもという箇所にのみ赤線を引いて最低そこの箇所のみ読んで頂ければ・・・・・と私は病んで老いた友人のために,丁寧にことを進めた。しかし・・・・・読んでいくうち友人は病を悪くしてしまった原因、昨年の8月の一回目の手術後に至っては、体に悪いといわれることばかりをしていたことになる。今日の悪化を招いたのは、ひたすら、本人の生活の不摂生以外の何ものでもない。

肝臓がんの根本的原因はウィルス感染があったこと。これは事実として大量の飲酒をしてはいけない。書かれていないが薬の飲みすぎも同じではある。彼女は食後大袋に入った薬を取り出すと数え切れない薬を常習していた。糖尿病、高血圧、肝臓ビタミン剤などなど。薬の飲みすぎは必ず別の障害を齎すからと幾度注意したことやら。私はお宅で食事を供されてもなるべくお断りしていたが、理由は心こもった野菜料理が全く卓上に無いことが主たる原因であった。


私だって十分に食いしん坊である。我家の食卓より美味しそうなものが並んでいればついつい誘われるままに頂いてしまったと思う。農業でありながら野菜の少ない間に合わせの食卓は何度注意したか知れない。昼食時に安いカップヌードルを机上に並べて何度昼食も一緒に…と言われたか数え切れない。家庭に主婦がいて、立派な大邸宅に住み子供たちは十分お金をかけて然るべく教育は十分受けさせている。それでいて食卓は貧しい心がこもらない粗末なものが常であった。

十分お腹を満たさない結果、食後に胃に重い糖分過重な餡子いり菓子など勧められる.私にとっては信じられないのだが,これが手術した後も続いていたのでは・・・・と思う。病気のあらゆる原因は本人の不摂生以外の何物でもない。肝臓がんの病人にとって、糖分は彼女の癌の栄養にこそ、十分役立っていたのだから。

今日暇を見てこの冊子を彼女に手渡しては来た。元気なうちに、判断が出来る健康なうちに良く読んで、自分のこれからの先は自分できちんと決めること。子供たちに任せきりにして、挙句に『あれが悪いこれが悪い』と他人(この場合は自分以外の子供も含まれる)のせいにしないこと。病を克服する一番大事なことは、病んでいる人自身に、『病と闘う心』があるかどうかが最重要であることを良く言い含めて。

健康な時に自分を守るべく健康に留意した生活(食事とかストレッチ運動など)を継続していれば病になってから、もう少しとの努力も出来るが、病になってから急に今までの生活を反省し改めて、節制した食生活に変更するとか、自分の身を自分で判断する・・・というのは余程の強い意思が無い限り自分を変えることは難しいと思う。それは生活の中で自分を抑える、欲望を控える努力をするなどと自分を変えることは別の自分になることだから。




夢が現実に  その③

長い人生において正夢、逆夢、予知夢を度々経験した、しかも前回のブログでの引用のような異常に怖い体験の時にカラーの夢を見るのでなく、私自身行ったことも無い欧米の古い宮殿の素晴らしい彫刻の室内とか、漆喰の絢爛豪華な天井とか実際に私が生きてきた人生の中ではなかった、華麗なリアルな鮮明な建築物が夢の中で生々しく詳細に出てくる。しかも目が覚めてもそれらの光景は多少鮮明さは減少しているけれども、覚醒時でも思い出せるほどはっきりと記憶に刻まれている。これらの夢は私自身の仕事においては、ある意味何らかの成功を私自身に導いてくれたと自覚している。

でも一ヶ月前に見た素晴らしい又余りにもリアルな親しい友人との夢は、今現実にその夢の意味することがなんとなく理解できる事態に陥ってしまい、悲しい未来を予知するものと知ることとなってしまった。このことはその夢の中で共に行動した友人に『実は、不思議な夢を見たの・・・・』と内容をこと細かくお話した。彼女も不思議な夢だね…と笑って応えた。

私は彼女と歩くうち、子供たちが満ち溢れているお花畑を通り過ぎ,何時しかお花畑は山道に変わっていた。時は既に何時間も経過していた。登っている山道は険しく、崖ははるか下に続き、大きな樹木は天まで届くほど高く、遠く寺院の赤い柱と屋根が目に入った。山の険しさは私が行ったこともないチベットの山のようなこの世のものでない荘厳さが漂っていた。山頂に到達した時、禅宗のお坊さんらしき姿の一人が私を迎えてくださった。建物は大きくガランとしており数百坪の広さがあったであろうか。壁の一部に焼け焦げて突出した小さな部屋があった。どうしたわけか内部はそこだけ焦げていた。何でそこが焦げているのか、坊様によると雷の落下と言うが、『雷なら天井が焼けているはずなのに、室内の壁が焼けているのは何で?』といぶかった記憶がある。既にその時彼女の姿は無くその後夢は終わってしまったのか忘れてしまったのかはっきりと記憶に無い。数日してお会いした時、不思議な夢を見てね・・・・・と彼女に話したのだけれど。

あれから何日も経っていないのに、彼女の癌が再発した・・・と言う。彼女はもう年だから5年位生きていられれば良い・・と話されていた。医者が話の都合で口あわせをして5年となった様に私には思えた。彼女の余命は余り永くは無いのだろう。今私は、彼女の為に再度の手術が良いのか免疫療法を尊重した手術を受けない治療がよいのか一生懸命調べている。私にこの様な予知夢と言うべき能力があることは、何ともやり切れない悲しさの中にある。

更に十数年前のことである。夢の中で太ったピンクの鯛が頭を上にして、暑い暑いともがいていた。鯛はパンパンと太っており、よく見ると鯛の顔は、彼女の顔に変わった。こんなおかしな夢を見た翌日彼女にあった際に、『昨夜暑くて眠れず夜中苦しんでいた・・・』という。夜中暑苦しいと眠れずにいた彼女の姿は、試験管の中の鯛に化け私に苦しさを訴えていたのであった。鯛の顔を注視して初めて彼女とわかったのだった。彼女はパンパンに太っていて色白の顔は、陽に焼けて赤黒く鯛のような色合いでもある。私は彼女の実家でも彼女自身もご馳走と言うのは彼らにとって鯛の刺身をいうのだとは、この後数年経て知ったのであった。



夢の不思議な体験 その2

3月6日付けの当ブログに私自身でさえ不思議に感じている夢の兆候を暴露してしまったが、一体「予知夢」とはどの様な時に起こるのだろうか・・と調べてみたところ、正夢、逆夢、予知夢と夢には主に三種類あるようである。liberiangirl2121さんより引用させて頂くと下記の様になる。

『正夢』というのは、近未来の出来事をありのままに予知している現象です。はっきりした映像や音声を伴い、時により現実に起こる出来事の象徴的な場面や場所、数字が現われる事もあります。切実な臨場感があり、目が覚めても現実と区別がつかないほど具体性があります。たとえば肉親の死や事故を、夢主と縁故の深い場所や事物のイメージをともない、特定の人物が夢の中で語ったことが実際に現実になるような夢の現象です。

【正夢は単なる偶然?】
夢で起きた出来事が、そのまま現実で起こるという正夢。ただの偶然と思っている人も多いでしょうが、それは本当に単なる偶然なのでしょうか?実際に、小さな子供と手をつないでいる夢を見たあと、妊娠しているのが発覚したり、宝くじが当たった夢を見たあと、見事に当選したりなど、数多くの正夢の報告が存在しています。

【夢は無意識の予測】
私達の記憶の中で、意識して覚えている記憶は一部に過ぎません。日常生活をしている中で、私達はもっと沢山の物を見て、観察し、無意識のうちに記憶しています。実際に思い出す事ができなくても、脳の中には記憶としてインプットされています。夢を見ることで、脳は記憶の整理をするわけですが、その際、膨大な記憶から、今後の状況をシミュレーションしたり、予測したりします。その予想は、あなたが意識していない記憶も含めて、すべての記憶から今後を予想するわけですから、自分の意志で頭で考える予想よりも、当たる確率が高いと言えます。つまり正夢は、その無意識の予測が的中したという事になるわけで、単なる偶然では片付けられない事です。

【正夢の傾向】
正夢にはいくつかの共通点があります。例えば朝目が覚めた時、実際に夢の中にいたかのような疲労や感覚が残っている。又、時間の経過が現実と同じで、省略されていたり、時間が飛んだりしていない。これはほんの一部ですが、これらの条件にあてはまっている場合、それが正夢である可能性は高くなります

【正夢の反対、逆夢】
正夢とは反対に、夢で見た事と、まったく正反対のことが起こる事があります。これを逆夢といいます。正夢の話と一見矛盾しているように思うかもしれませんが、これも無意識の予測が関係しています。
例えば恋人とケンカをしてしまう夢を見たとします。あなたは無意識のうちに、このままだとぶつかり合ってしまうという予測をしている事になります。この夢を見たあなたは、そうならないように恋人に優しくしたり、ケンカの種になるような事を避けて通ろうとするはずです。おかげで恋人とはケンカもせず仲良く過ごす事ができます。そして夢は逆夢となるわけです。でもそこであなたが何の対策もとらなければ、もしかしたらその予測は的中し、正夢となってしまったかもしれないのです。

数多くの夢解きから『予知夢』というのは大きく3つの種類に分けられます。
⑴正夢や霊夢のようにダイレクトに伝えられるもの。(霊夢とは守護霊や霊的存在が意味があってみせてもらう夢) 霊夢はかなり印象に残り、綺麗なカラーで見ることが多いです。

⑵デジャヴー現象、複数の人が同じイメージを夢で共有しているもの。(デジャヴーとは視感(きしかん、仏: Déjà vu: 「デジャヴュ」のように発音し、「既に見た」の意)とは、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じることです。一般的な既視感は、その体験を「よく知っている」という感覚だけでなく、「確かに見た覚えがあるが、いつ、どこでのことか思い出せない」というような違和感を伴う場合が多いと言われています。「過去の体験」は夢に属するものであると考えられますが、多くの場合、既視感は「過去に実際に体験した」という確固たる感覚があり、夢や単なる物忘れとは異なります。過去に同じ体験を夢で見たという記憶そのものを、体験と同時に作り上げる例も多く、その場合も確固たる感覚として夢を見たと感じるため、たびたび予知夢と混同される事もありますが、実際にはそうした夢すら見ていない場合が多く、別の内容である場合も多いと言われています。
⑶典型夢(象徴夢)として間接的に伝えられるもの。典型夢(象徴夢)というのは、象徴的なイメージや比喩的な印象をもつもので、これには2つの種類があります。
①心的(心理状態、心身の状態を象徴)な要素をもつもの。
②予知的(未来の出来事や進行中の状況を象徴)な要素をもつもの。

最近も胴体が切断してしまった魚が泳いできたにも拘らず、そのマグロの様な大きな魚はいきいきと泳いでいた。周囲の魚も元気に泳いでいた。魚が生き生きと元気に泳ぐ夢は、常に私にとって幸を呼ぶ幸運な夢である。大体その日良いことが起こる。不思議な夢・・・・と思ったらその日、困り果てていた媒介の中古住宅(人様の売却物件)が売れた。家は古く修理代を100万円以上立て替えて3年も経過しており、私自身ホトホト困り果てていた中古住宅である。自社物件でないためこれ以上の立替はご免被るのであって胴体が切れた魚の意味するところはわからないが、生きていた、欠陥魚は未だ未完成な中古住宅を意味したのだろうか。
さて昔から、カラーの夢を見る人は頭が可笑しい・・・と私の母親は口にしていた記憶があるのですが、私は白黒の夢を見たことはありません。小さい時から何時もカラーの夢ばかりか、それは色鮮やかに、むしろ現実の世界よりもはるかに美しく、例えるなら今まで目が見えなかった人が始めて見えるこの世はこんなに美しい景色なのかしら・・・・と思える程素晴らしい景色が夢の中に現れることがあります。皆様は如何でしょうか。



栄村へのボランティアで不思議な夢の経験

栄村に除雪車4台をロータリークラブとして寒冷地用手袋とあわせ寄付したのは3月3日であった。最近めっきり霊的な夢を余り見なくなっていたのに、翌朝珍しく霊的夢に出会ってしまった・・・・私は何時の頃からか予知夢を見ることがあり、その日起ることが前日の夢に現れることが時々ある不思議人間である。

夢の中で自分の考えと全く別の方向を示唆されたこともあり、結局夢のお告げが正しいことが後で知ることとなった経験も度々である。夢で身に起る危険を知らせてくれた事もあった。それは、普通の夢と違って朝起きても忘れず、時には物言わぬ神様の以心伝心のお告げのごとく私自身の心に静かにそれでいて深く染込んでくる。人様に言うと頭がおかしい??と思われるので人にはほとんど話すことも無い。でも霊感あるとおっしゃる方とか易を見るとおっしゃる方には、ズバリその通りに告げられている。

さて夢の中で、田舎道を車中であったか歩いていたかははっきりしていないが、畑のど真ん中で、手を合わせ頭を深く下げこちらに向かって感謝する田舎の人々の数十人の集団が瞼に映った。『有難う』声なき声が心に響いた。どうしたことか私は一人だけであった。『皆の感謝の心だよ』何時もの無言の声が私の心に染み入り気が付いた時、私は目が覚めて幾分涙ぐんだ様なかすかな記憶だけが朝起きた時の記憶の中に残った。

人様の危険を察知してお節介にも色々我身を振りかえず手を下してきたことは沢山あった。金銭的には遥かに比較にならない高額の金額で人助してあげたこともあった。でも、この様な夢で、しかも沢山の人々の感謝の心のメッセージとして受けたことは初めての経験である。気まぐれな只の夢なのか、栄村の方たちの声無き声が私に届いたのか、凡人の私には知る由も無い。栄村の人々にとって、多少なりとも4台の除雪機が幾ばくかの人々の助けになるであろうとは思うが。

土曜日栄村に除雪機を運び、日曜日の来客は我社の今年唯一の残りの売却物件の契約を約束されて帰られた。今年は既に5物件の売買契約済である。余りに売れ行きが順調すぎて今年の予定物件の全て売り切れてしまった。一年売却が無いのは些か寂しいものでもある。何やこれやで月曜日は朝から煩雑な事務に追われていた。一番面倒な確定申告の調整がある。

と一息ついた時『会社に行きたいけれど・・・』と言うお電話があった。私は幾分高年齢に聞こえたその男性の声を耳にした時『栄村の方?』と理由無く思った。でも、除雪機を運んだことで我社のお名前を聞いてこられたの?まさか栄村の方が土曜日に行って月曜日に?電話口の声の方は、初老のご夫婦であった。玄関に迎え出た私は、『何処からいらっしゃったのですか?』『栄村です』『え~。まさか、村の方にお聞きになったの?』頓珍漢な私の質問ではあった。

栄村地震で大きな被害にあい今年の豪雪の中、当市の不動産を購入して引っ越してこよう・・・と車で来て電柱に当社の名前があり、更に付近の空き所有地にも当社の名前と電話番号があったので公衆電話から電話をされたと言うことであった。更に驚いたことには、彼らの妹が二人当市に嫁に来ており、その夫は私がこのブログで数回記事にしたU君であった。彼からは『不動産やの女社長は同級生』と聞いてはいたが、名前を聞いた訳でもなく、その奇遇に私たちは驚いてしまった。

11月13日のブログに書いたように私はU君父子に人の一生における大きな影響を及ぼしたまま、その後の結果をお聞きしていない。U君とご長男が、私のお節介によって永い冷たい関係を打ち破り、父子の関係が昔に戻って呉れれば・・・・と秘かに私は期待している。多分当事者には会っても『どうしている?』位しか言えないだろう。でも今日のお客様は彼らの兄弟であり,伯父さんでもある。私はことの一部始終を彼らにお話した。多分U君は何時か兄夫婦から私とご長男とのことを聞く機会があるだろう。自分ではどうしようもない親子の関係に夫々が私に疑心暗鬼の心の悩みと軋轢を吐き出していたのだから。多分これからは二人が普通の親子よりもより信頼しあった良い関係になっていくと私は思っている。何やこれやで、自分の仕事そっちのけでお喋りしてしまった一日であった。

これも栄村の守護神のなせる業であったのか、これは誰にもわからないことではある。ロータリークラブの同行者の中で農業資材を製造販売されている方は、名詞を配り製品のPRをされていた。私は過去に栄村の出身者の二人の方に建売と土地を購入して頂いた・・・と副村長さんにはお話したが、買いに来て欲しいとは微塵にも思ってもいなかったし期待もしていなかった。不思議・・・というほか無い。


栄村で美味しいお米が作れるか融雪と除雪の関係

Posted by ayako. at 2012年03月04日00:38 | Comment(0) | 福祉
30万円で100万円の買い物ができたらとか、20万円の月収で30万円の生活ができたらとは、誰でも望むことでしょう。ボランティアとして寄付をする場合にも、大切な心からの募金をされた方には、行政に対して、是非有効に使って欲しいと願うのは何方も同じことでしょう。赤十字などに集まった寄付金の使途については下記の様な記事も目にされた方も多いと思う。

ゼネコンに吸い込まれる巨額復興資金。
被災地はいまだ瓦礫の山新潮が復興景気に沸く東北・仙台のネオン街ルポをやっているが、なかなかおもしろい。
被災現場の復興は遅々として進まないが、国分町の復興は早かったと皮肉りながら、クラブのママにこう語らせている。

「ゴールデンウイーク辺りから、他県から来た人たちが飲みに来るようになったんです。
瓦礫の撤去の人とか仮設住宅を作るためにやってきた建築業者や、地震保険の審査をする人達もいっぱい来ました」

一晩で60万円もキャバクラで使う土地持ち。ホステスの奪い合い。食べ物屋もキャバクラも満員御礼。ソープ嬢は1日5、6人も客を取る。デリヘル嬢は市内に空いているホテルがないことを嘆く。百貨店は前年度比300%増、100万円のロレックス腕時計が1日5本売れることもあるという。本格的な復興を前にこの騒ぎである。
しかし、津波の被害を受けた沿岸部に目を転じれば、瓦礫がうずたかく積み上げられた荒涼たる光景が拡がっていると新潮は書く。予想されたように、巨額な復興資金はゼネコンが吸収して、ほとんどの地元民には行き渡らない。その予兆をこのルポは見事に教えてくれている。
http://ime.nu/www.j-cast.com/tv/2011/12/16116612.html?p=6


赤十字では災害復興支援金募集を9月30日まで延長と発表。さて上記新潮の記事を記憶されている方は、復興支援にどのくらい前向きに援助されるであろうか。純粋な小さな子供達が、大事なおこずかいをキャバクラとかロレックスに化けてしまったとは知る筈もない。

私はロータリークラブメンバー達と、前々回に書いたように3日早朝にスタートして、市より寄贈された三菱スノーロータリー4台を長野県栄村にお届けしてきた。2日のNHK『しるしん』では、田植えが出来ない、農業が出来ないと行政に『何もしてくれない』と怒る農民たちの姿が映し出されていた。栄村のお米はとても美味しいのだそうだ。ながらテレビの私には、老いた農民の怒る姿ばかりしか記憶になかったが、お出迎え下さった副村長さんのお話によると、雪の融雪の状況により、田植えが出来ないとのことであった。今年の様な大雪が、一挙に融雪になったときに、土壌にとってその後田植えが出来ない結果になるという。農民が怒ったのは、県に対して、一刻も田んぼの除雪をして欲しいという事らしい。だから、私たちが運搬した除雪機は、敷地内の除雪ばかりでなく、田んぼの除雪にも使われるという説明であった。しかも9年~12年経過した中古除雪機ではあるが、現在栄村で使用中の除雪機より新しいとのこと。

ネットでのショッピングに長けている私は、23馬力の三菱スノーロータリーが今なら幾らで購入できるのか中古なら幾らなのか幾ら探しても見つけられなかった。除雪機は受注を受けてメーカーが造るそうである。急な大雪だからと(栄村の大雪は1月末になってから)と即購入できるものではないらしい。ましてや一台二百数十万円以上の価格でもある。私たちは、修理費と運送費でそれら4台を30万円位で成し遂げた。栄村の職員さんのお勧めで購入した30足の大箱に詰め込まれた寒冷地用手袋も、副村長さんは私達が購入されたことを知って感激されていらっしゃった。

無い知能をフルに回転させてのアイデアであった。ヒントはお仲間であり交渉は私の努力であった。当市の市長さん初め担当課の方々の協力が最大のポイントであり、栄村役場の対応下さった若い担当者の素朴な正直な人間性が最大限バックアップしてくれたことが成功の秘訣であったと思う。

『こんな援助を毎年やりたいね・・・・・』家路に向かう車中での同行したメンバー達の会話であった。



途中小白鳥が数十匹某田んぼで餌を探して?いました



一度もらった障害者年金のうまみ

Posted by ayako. at 2012年03月01日01:26 | Comment(0) | 福祉
管理貸家に10年来住んでいらっしゃるKさんから相談事がある・・・・というので日曜日来て頂いた。当初30歳に成ったばかりの娘さんが、犬が2匹いると言う理由で新築のペットが飼える当時としては未だ余り普及されていない寒冷地用ペアサッシの比較的ハイレベルのメゾネットに入居された。当時は貸家を14軒建築して完成早々に即満室になる盛況ぶりであった。だから独身の娘さんにはチョッと贅沢と思われても何らそれ以上突っ込みを感じる隙もなかった。この方については 4月27日付けブログにて一度書かせて頂いている。お母様はチャキチャキと娘さんの分まで喋り捲りお年以上に若風で溌溂と元気一杯の方であった。母子共々我が家よりそれぞれ一歳ずつ年長な母娘の年齢構成であった。だから私も他の方々より、良くも悪くも自分のところと比較し記憶に深くたたみみ込まれている。

この10年の間、娘さんは結婚を望んでも上手くいかず、どうしたわけか娘さんのマイホームにご両親もいつの間にか同居されていらした。お家賃は常に滞りがちで毎月のお家賃は私からの度々の催促の後、やっとで遅れて支払う有様であった。電話をかけても決して電話に出ない娘さん。私は借主でないお母様に電話を掛けざるを得ず、借主でないその母親が正しく借主の態度で対応されると言う滑稽な関係に不思議を感じたこともあった。

有る時やはりこのお宅の注意緩慢から家の様子を見に行かなくてはならず、その時居合わせた娘さんに『もう自分のお家賃くらいきちんと自分で働いて支払ってね。親に何時までも甘えていてはいけませんよ』と言ったらしい。らしいと言うのは先週この娘さんは、自分の名誉挽回の為に意を決して『相談ごとがある』と訪ねて来られこの言葉について弁明されたのだから。

私は一々貸家の住人の相談毎に乗るほど暇でもない。毎日仕事がぎっしり詰まってやっとで毎日をこなしている身でもある。でも一時間位我慢してあげよう・・・・と相談事を聞く羽目になった。

彼女は、お家賃の支払いが遅滞していることの侘びと理由を延々と話し始めた。全て自宅も売却せざるを得なかった父親が悪い・・・と言う内容ではあった。お母さんと私は被害者。聞き飽きるほどあれもこれもと話す彼女に『相田みつお』のあれこれを例を上げて諭した。すると彼女、今度は母親は彼女の名前でローンを借りまくり、漸く終わりかけてきた。そのことが心配で躁鬱病になってしまったと。

私が数年前にお聞きした話は、彼女は介護施設で働いていた時、痴呆老人に腕をかまれて働けなくなってしまった・・・・それがうつの原因と母親の話ではあった。延々と続く話に私も飽き飽きと嫌になり帰宅を促すのだが、重い腰を上げようとしない彼女はついに1時間の予定が4時間喋り捲って漸く重い腰を上げてくれた。既に夜の7時を過ぎていた。折角珍しく空いた私の日曜日の午後はこうして不愉快などうにもならない愚痴話と家賃を大幅に下げて欲しいとの会話で閉めくることになった。重い暗いよどんだ空気ばかりが私に残った。

それは、彼女は躁鬱病と言うことで障害者年金を受給してとのことであったが、一ヶ月10万円以上あるらしい。彼女は一月8万円以下の勤めに抑えておかないと障害者年金をカットされる・・・と言うことであった。日本の社会福祉制度はそれなりに整備され民主党政権になってからは弱いものをサポートする社会形態に移行しつつある.。O暴員が生活保護で何千万不正受給していたとか、不愉快なニュースも度々ではある。

ただ、働こうとしても働けない障害があるから障害者年金制度があるのであって、障害者年金があるから、働けるのに給料を低く抑えているという話は、毎日一生懸命働いて税金を支払っている立場からみると制度そのものに疑義を感じざるを得ない。この日曜日の珍客のように暇を持て余し、毎日暇な一日くだらないお喋りで一日を費やしているのだろう。その結果折角の憩いの一時を無駄にされた私にとって、不愉快極まりない何ともいえぬ重苦しい気持ちだけが残されたのであった。皆様はこの様な福祉制度をどう思われますか。




日本一の豪雪地帯長野県栄村の今日の積雪量凡そ3M

Posted by ayako. at 2012年02月29日01:57 | Comment(0) | 福祉
長いことブログから離れて凡そ2ケ月が経過してしまった。漸く又書きたくなってきました。毎日色々書きたいと思っても、書くという習慣の軌道から外れてしまうと中々元に戻りにくい。

けちなのか倹約家なのか、はたまた浪費かともいえる複雑な私だと十分自負してはいる。その経験から私は、ボランテイアの一つとしてここで大きなことをやり遂げようとしている。

多分数日後には、大々的にニュースになるかもしれぬので、その前に暴露してしまうことになるのだけれどこれが成功すると、それは私自身の日頃のケチと無駄遣いがもたらせた成果だと思っている。

長野県栄村が地震の被害のあと今年に入り、更なる大雪の被害で、役所の職員さんまでも雪下ろし中に、落下して亡くなられてしまった。次々とニュースされる栄村に対して『秋の内に、冬に向かって家の隙間を塞ぐとか、窓を修理して上げる・・・とか同県人としてやるべきことは有ったはず』東北へは、それなりに小額ではあっても個人的に又はロータリーの寄付枠の中で、或は一校一組への協力でもあった。

東北の某市と姉妹提携をしている三浦市のロータリークラブは、クラブ設立50周年記念事業として、広報車2台を寄付されたという。私達も本当に栄村の方々のお役に立つことは出来ないものか。余りお金をかけないで、一番栄村の方々に喜んで頂ける支援とは何か?考えた挙句、直接栄村役場にお電話してみた。住民福祉課の担当者からお聞きしたことは以下の内容であった。

『地震被害のために予算も使い果たしてしまい、例年にない大雪のために雪かきをしたくても、除雪車は度々故障し、作業の方々が使用する手袋もボロで擦り切れている。ボランティアの方には、本当に申し訳なく思っています。だから手袋がほしい。でも無理しないで下さい。お気持ちだけでとっても嬉しい』とのお返事でした。最近の無駄遣いで買い物癖がついてしまった私は、即ネットで寒冷地用手袋を探した。作業用といっても種類は数十種類ある。栄村担当者に『普段どの様な手袋を使用されているかメールに添付してほしい』には、即刻送られた広告は調べて見ると、値引きが一番大きいサイト広告であった。-60度にも耐えるとある。4200円の物が2930円で買える。結局30足注文した。

さて除雪車であるが、どんなのを日頃使用されていらっしゃるかお聞きした後FAXされた読みにくいパンフレットには230万円に丸印があった。高~い!!!そんな高額な出費は我がロータリークラブには到底無理なこと。でも3人寄れば文殊の知恵とはよく言ったもの。メンバーの一人が、市役所では30台購入して、各町に配布し、返品されたものが3台ある・・とのこと。それを借りて今年の雪かきに使ってもらえばよい。栄村まで運ぼう!.

それらは修理が必要な除雪車であり、修理業者への依頼と市への折衝は、会長の私のお役目であった。日頃助け合い、人々の絆の大切さを何時も訴えていらっしゃるM市長。即日私のメールに一部赤文字に修正して市のあらゆる分野に配布して下さった。そして、それに応えて河川管理課の職員さんから、即お電話がきた。7台あるからまず見てくださいと。23馬力が6台7馬力が1台あると。でも栄村の必要な除雪車は23馬力のもの。

元メンバーの農機具やさんに、修理して使用できるか、費用はいくらくらいか即見てほしいとお願いした。翌日見た後のお返事は、23馬力はボロで汚くみっともなくて、あんなもの栄村に持って行けない。ロータリークラブの恥だ。7馬力のは未だ余り使用されずであれしか持っていけない。≪7馬力では用は為さない≫と何度繰り返しても同じ台詞。≪今の栄村の一般家庭の屋根から下ろした雪を処分するのに23馬力で無いと駄目≫何度繰り返しても聞く耳もたずの農機具やさん。
私はかなり強く言わざるを得なかった。≪貴方にお聞きしているのは、23馬力のスノーロータリーを直せるかどうかと言うことです。貴方にどの機械を栄村に持っていったらよいかとは、聞いていません。修理できないなら出来ないと、一言仰って下さい≫どうも昨年仕入れた7馬力の除雪車が売れずに残っているらしい。それとあわせて綺麗なのを2台栄村に持ってゆけば・・・彼のプランだったのだろう。こうしてかの農機具やさんの残り物処分は失敗した。

日本人はお人好し?規律を守る?外人は色々日本人をもっと酷い民族と比較して褒めて下さるが、我がロータリーの中でも栄村への援助よりもどこかに旅行に行きた~ィ願望が強く、話をすり変えようとする幹事さんまでいらっしゃる。一つのことを運ぶのに自分に都合よい脇道に誘い込む身勝手な人たちは何処にもいると言うもの。

私は、10万円で15万円の買物、20万円で30万円の働き・・・・こんなにしてお金を有効に使ってボランティアをすることが何より楽しい。そして一番必要とされているものをプレゼントできたら又喜びは格別である。毎日仕事の中で常に無駄と戦い利益を生み出し税金を払う。その中で上手な買物をするために日ごろの努力と腕を磨けるのは、何よりの生きがいなのである。身内だから友人だからしてもらって当然・・・・と言う人達からは、必ず距離を離す。おごりと甘えと馴れ合いは大嫌いである。

そんなこんなで何時もは色々なボランティアを一人でしているが、今年はロータリークラブの会長の立場からロータリークラブとして活躍せねばならない。又来年からは自分一人で何かを始めればよいと思っている。除雪車は購入後9年から12年経過しており、既に大手の機械屋さんから見積もりをとってあった。素人の私が見てもわかる部品の消耗である。汚いとはとんでもなくそれなりに10年の経過はしていても綺麗に掃除され磨かれている。当初は市よりお借りして雪が解けたら取りに行く予定であったが、三菱製MSR 23馬力4台は当S市より寄付していただいた。手袋と修理費と輸送費の合計は今のところ40万円以内の予定である。これは我がクラブの遊行費としてストックされた金員より支払われる。少ない金額で大きな働きのボランティアに成りそうである。

栄村へのスノーロータリーと寒冷地用手袋はきっと村の雪かきの人たちにとって多いに役立つことと想像し期待で胸を膨らませている。栄村は今日現在の積雪量は294cmとある。雪は平等に栄村を覆う。屋根の雪をおろした後庭先の雪は5mにも6mにもなるだろう。

4台の除雪車と30足の手袋があれば、除雪機を修理できる人と雪かきをするボランティアが必要となる。栄村では雪かきに来る方は経験在る方に・・・・と希望されている。物見遊山で来られては返って迷惑を掛ける結果となる。わが市と栄村からは、新聞・テレビを通してこの事はニュースになることと思う。これは、更なるボランティアを募るためでもある。3月3日朝8時の出発。この時間帯は路面が凍結し運転も大変とのこと。決して物見遊山でなく栄村に行くのだが、携わっていない方には物見遊山で行くようにとられているらしい。何かと関係者からは思いもしないがっかりする台詞ばかりが聞こえてくる。

心ある方、ボランティア出来る方はぜひ栄村に行って助けてあげてください。




女性宮家問題、緊急のテーマなのですか?

正月中のニュースを見ながら、今の日本の中で納得いかないことが幾つかあった。まず女性宮家についてである。今、国をあげて震災の復旧、原発代替エネルギー論議、放射能汚染問題、諸外国の不況による日本への影響、中国・韓国との領土問題、北朝鮮拉致問題、更に深みにはまったままのロシア領土問題、ドル・ユーロ安による円高、それに対する経済の乗り切り方etc。庶民の私達ですら、誰しもこれらの問題の大きさと解決の糸口の全く見えないことに、半ば諦めの境地でもある。

塩野七生さん著のローマ建国の中で、かの地成り立ちの時代、国家の諸問題を解決するに、優勢順位をつけることに決定したことがあった。何を今急務として為さねばならないか、次々と起こる近隣諸国との軋轢と戦争の中で、優先順位を間違えれば、即国民は路頭に迷うことになる。国力が軟弱であれば、国民は戦勝国の奴隷になるしか選択は残されていない時代。ローマは、一日にして成した国家でない。幾度も幾度も数百年の反省と思考の上に築かれた国家であった。次々と選ばれた施政者であっても、場合により国民は国外追放もし、大臣であっても処刑もしてきた。首領は優先順位を間違えただけでも国外追放になった時代もあったのだ。

国民は、失敗を常に反省材料に、試行錯誤の連続であった。当初は貴族だけの政治であったが、自国民だけでなく敗戦国の民でさえ優秀であれば、政治の執行者に選出してきた。≪パクス・ロマーナ≫は、ローマ人の幸せの為に、あらゆる英知を模索し、ローマ帝国は存在したのであった。

この時代のこれらの政治の成りたちを読んでいると、今の日本の国民ののどかさを禁じ得ない。先ず政治家の最近の大臣たちの多くがローマ時代なら、国外追放であろうか。特に金銭に対しては厳粛であり、小沢一郎氏ならば、数年前に処刑されていたであろう。

国民が、今の日本人が甘すぎるのでしょうか、問題意識が低いのでしょうか。これだけの問題が解決されない中で、私は≪女性宮家≫云々は今論議するべき問題ではないと思う。

元々アイデイアも無く、能力も十分ある・・・と国民の多くは、現在の政治家たちに思いを寄せてはいない。その低いレベルの政治家たちが、今やるべきことを棚上げにして、どっちでも良い問題を論議しているのだから。勉強の嫌いな普通の子供たちが、宿題も予習も復習も今やるべき勉強に対して解決の努力もせず、難しそうだから棚上げにし、簡単に答えが出る相手が無い楽な問題に逃避したということではないでしょうか。

野田佳彦首相は17日、「女性宮家」創設をめぐる皇室典範改正について、「早く結論を出すべき緊急性のテーマだ。女性宮家創設に限って議論する」と述べた。何が緊急性なのか私には腑に落ちないものが残るのは致し方ない。国会議員削減も多少ではあるが一歩進んだらしい。

放射能に汚染された石がマンションや民間住宅に使用されていたニュースも売却した業者は、国の指導があれば・・・と主張されている。土が汚染されているのだから石も汚染されていて当然であり、放射能に対する国の危機意識が低いが為に起こった問題であると思う。私の仕事を通して公務員の仕事の一部には、何でこんなことをするのだろうと疑問を抱くことがままある。人間があるべき疑問と意欲を失して、上司の命令のみでしか動かない又は動けなくなってしまった公務員の結末が、この様な事態を招く結果となってしまったのではないだろうか。公務員削減も一日も早急に踏み込んだ議論をして欲しいと願うばかりではある。



災害事故≪想定外の解釈≫

皆様明けましておめでとうございます。昨年暮れから雑用にまみれて怠けておりましたブログです。一ヶ月も怠けていたばかりで無く、眠りすぎるほど眠り、新聞もテレビも飽きるほどに怠けておりました。

この間色々な出来事がありました。オウム真理教の平田信容疑者が出頭したこと。呆れたのは、平田が自首したにも拘らず、警視庁本部で門前払いされ、警視庁本部を訪れ「特別手配の平田です」などと何度も名乗ったのに、いたずらと思った警戒中の機動隊員に門前払いされたということ。

私は十数年前のことだが、アパートに入居された23歳の青年がオウムの指名手配犯の顔写真にそっくりだと思い、身長、出身地など調べた結果、顔が似ているだけで全く外は共通性が無いと判断、ホッと胸をなで下ろした苦い経験をしたことがあった。彼への指名手配犯ではないかという疑惑は完全に払拭された時の安堵の気持ちを今でも忘れない。彼の家は母子家庭あり、離れて暮らす病身の母親に仕送りをしている、その生き様に同情せずにはいられない好青年であったにも拘わらずの私のもった疑いではある。私は完全に別人とわかったとき、何よりも嬉しくほっとした苦い経験があった。もしやと疑っていた期間は数ヶ月に及び、この間朝から寝るまで、頭から離れず、警察に通報する前に何とか彼が手配犯でないことを探し出そう・・・と調べた挙句(彼の立場にたつと、随分ひどい大家であったが)決定的に別人とわかったのは、身長の違いであった。現役の警察官が、指名手配犯に関心が無かったとは、誰しも驚いたことだと思う。

年があらたまり、広島刑務所から中国籍の囚人が脱走した。捕まったから良いものの、何か殺人事件でも起こされたら・・・・とは、誰でも一抹の不安に襲われたことと思う。何事も無かったから良かったものの、刑務所側の危機意識の欠如には、驚くばかりである。脱走囚人は、人家に入り、ビ-ルを飲み飲食したらしい。もし家人がその間帰宅して、遭遇したなら、殺人に及んだかも知れない。高い塀があっても、足場があったらそれを利用することぐらい誰でも考えることだと思うが、刑務所の職員、作業員皆このことを想定できなかったということであろう。

私も絵や骨董品を事務所に展示しており、人並みにゴタゴタには遭遇したくない。人一倍建築の際には防犯を考慮しての設計を考えた。というのは建築当時、何処もかしこも近隣で事務所荒しの被害にあった話ばかりであったから。私がここまでしたいと主張したが請負業者の社長さんはやりすぎだと、鼻で笑ったものである。≪過剰な防衛自体が、犯罪を食い止める重要な要因に成ると私自身解釈しているので≫挙句に、鍵の位置を意味も無くつけてしまい、未だに何でこんなミスを犯したのだろうと私は不思議に思っている。

人は事に当たって、起こり得る事態を想像するに、より多くの情報を起因として、より大きな危険を予想できたほうが、能力が高いのだと私自身は考えている。自分がこれで大丈夫だというのは、それだけ考える能力が低いのだと思うが、頭が凝り固まって吸収力が無ければ、人を見て己を正すことも出来ないし、学ぶことも拒否してしまう。

「絶対安全」をうたいながら、世界最悪レベルの放射能汚染を引き起こし、今なお多くの人々に避難生活を強いている福島第一原発事故。テレビを見ていたら、今回の津波災害を『想定外』と常に言いまわされていることへのとても良いTV番組をみることが出来た。

「原発事故 謎は解明されたのか」(2011年12月27日放送より 出演:畑村洋太郎・柳田邦男「原発事故 謎は解明されたのか」(再放送2012年1月15日放送)

人間は不都合なことは考えたくない。線を引いて内側だけを考える。外側については考えたくないから、考えようともしない。内側を考えることを『防災』と言い、外側を考えることを『減殺』という。

WIKIPEDIAによると減災(げんさい)とは、災害時において発生し得る被害を最小化するための取り組み( ダメージコントロール)である。防災が被害を出さない取り組みであるのに対して、減災と はあらかじめ被害の発生を想定した上で、その被害を低減させていこうとするものである 。

個人について言えば、自分の健康、家族の先々、仕事のこと、万一を頭に入れて全てを図っていると、殆どの事は取り越し苦労に終わってしまう。だからと言って安心してしまい、防備をわすれると、個人的にも災害に何時襲われるとも知れない。津波の起こり得る想定とか原発事故などは、全て国家の責任としか言いようが無い。私達国民はそのため税金を支払い己の未来を国に委ねているのだから。




西口宗宏事件、一般社会に与えた影響は

今年こそは暮れになっても慌てぬ様にと、毎年同じことを思いながら、相も変わらず年の瀬も押しせまり何かとあわただしく・・・とは何処も同じくり返しであろうと思う。私のように小さいながらも仕事をしているものには、日本独特の盆と暮の贈答品の習慣がある。贈って下さる方々は、お世話になった・・・から、是非、相も変わらず来年もお取引をの気持ちが含まれている。

頂いて一番辛いのは、余り仕事を発注しなかった相手から頂くこと。大した仕事が余り出ていないので、決して心遣いをしないで欲しい・・・と告げているにも拘らず、贈られて来る場合。数百万円の工事になると相見積をとりお安い方に依頼するので、出してあげたいとは思っても、3割位の割高の差額は、嫌おう無しに、一方的にお安いほうに発注することになってしまう。

ある方からは毎年恒例のお林檎が届いた。これは彼自身の農場で採れたものなので遠慮なく頂いているが、加えて店舗で購入されたものも贈られて来る。私は、お林檎だけでお気持ちは十分だから・・・と常日頃伝えてはいるが、今年も例年通り送られてきた。当方に色々沢山贈って下さる理由をおっしゃったことがあった。

10年ほど前に自宅を新築された際『家の借金は一日でも早く返したほうが良い』と私が無意識に口にしたらしい。『少しでもお金が手元に残ったら、即銀行に返済しなさい。銀行では、返されるのを嫌がるかも知れないけれど構わず返したほうが良い』それを真面目に実行してきたため、20年ローンで組んだローンを10年経たずで借金全額返金してしまったとう。これは一重に私の一言なので、その一言のお礼と感謝も含まれているとのこと。

それまで彼の妻も時折一緒に仕事場に見えていらしたが、言われてみるとお金を稼ぐべく他所に働きに行かれたようだ。こんな心がけが立派な業者さんは、この不景気に体が間に合わないほどお仕事に恵まれているとのこと。我が家の修理も半年前に依頼したものの、どっちでも良い仕事と思われていて未だに手付かずである。

私は当たり前のことをひとこと言っただけである。自分自身借金は無いほうが良いと思っているので、多分無意識で誰にでも行っている私の『毎度の台詞』でもある。だからといって言葉を忠実に守り≪私にとっては覚えていらして実行され,お陰様で≫とお聞きするだけで嬉しいもの。感謝の気持ちを毎年繰り返し下さり嬉しい限りである。こんな時頂き物よりもこの感謝のお気持ちを思い出すだけで私は幸せを感する。

度々当ブロクで取り上げた尾崎宗秀さんと加害者西口宗宏は、これとは逆で、幼少時代から可愛がってくれた恩人とも言うべき相手を殺してしまった。西口宗宏は、幼少時代母親は尾崎さん宅の手伝いをしていた時も有ったらしい。12月10日当ブログの両者の関係が想像できる様な三角関係でもある。

亡くなった西口の母親がどんな方なのかニュース記事からは何も知ることはできないのが残念ではある。母親は何かして頂いた折、『感謝』を教えることは無かったのであろうか。

夕方駐車場で来客を見送っていると、通行人の中に見覚えがあるお顔がニコニコと私の顔を見て微笑んだ。よく見ると,これも8月19日付けのブログの主人公Aさん。タイ人のヒモになり、生活保護を需給していた40代の青年である。派遣ではあるが、前にいた会社から声がかかり、働き始めたそうである。『よったね』1時間ほどの道のりを徒歩で通勤している。自転車になることもあると立ち話ではある。

寒いからコーヒーでもと言いたい私ではあった。が尾崎さんの事件は、人様に親切にすることも憚れ、人を疑い人を信じてはいけない忠告のようにも受け取れる。西口宗宏の犯した2件の殺人事件は、一般市民である私にもこの様な思いにさせたことを想う時、二人を殺人したばかりで無く、社会的にはそれ以上の問題を含んでいる嫌な事件であった。



人のおごり・島田神助さん事件より

『破滅の過程梅原猛著・日常の思想より』抜粋
一人の人間が破滅する時には、必ずそれに相当する過程をたどる。破滅は多く、思い上がりから起こる。苦労の結果、やっと人がある地位についた時、一瞬心の中に安心感と共に、悪魔の声が目覚める。『俺は偉いのだ。俺は何でも出来るのだ。』そういう声と共に、想像も出来ないほど彼は、軽率になり、地位を利用して、私情を満たす。

しかし、破滅は決して一度の愚行に起こらない。なぜなら人は、過去の経験の目でもって見ているので、一度の誤りによって光栄ある歴史を持つ人を疑おうとしないからである。しかし、その人が誤りに固執し、さまざまな詭弁でもって、自分の誤謬を正当化し、彼に忠告する人々を遠ざけ、かえってその人たちを誹謗中傷する時、彼の破滅はかなり決定的となる。そして彼が最近知りあったばかりの、あまり信用出来そうもない人物と結んで、さまざまな画策をし、長い間彼と親しんできた友人や部下を不利に落としいれしようとする時、彼の破滅はもはや避けることが出来ない。

彼は彼の行動を忠告する声にも全く耳をかさず、周囲の状況をも全くみようとはせず、一目散に破滅に直行してゆく。たった一度の誤りを誤りと素直に自ら認められないために,老いて、友にも見捨てられ、部下にもそむかれ、ただ一人、破滅の道を歩む人の惨めさよ。神あれば、神よ彼に正しい道を教え給えと思うのであるが、破滅してゆく人間の心の奥には、神の心すら全く届かない深い闇があるように思われる。


最近の事件では島田神助さんを思い出す。

小さいことでは、人に忠告する、人から忠告をされる。その時自分は忠告された事にどのように反応する人間であるか。表向き頷きながらも、このことを恨みどこかで足を引っ張ってやろうと手ぐすね引いて待っている人間もいる。その忠告が如何にその人にとって大事なことであるか考えるすべもない。

だんだんまともな人は離れてゆく。2・3度の忠告で後は笑って見過ごすばかりになる。気がついた時には、愚か者か深く物事を考えることが出来ない人間ばかりが周りにいるようになる。忠告された時、心から『有難い』と思い『ありがとう』といえない人は悲しい。

今年の春までカウンセラーを仰せつかっていたリトアニアからの留学生である。私のお誕生日に、素敵なXMASカードを贈ってくれた。さて、私は故国に彼女が帰ったあと、彼女の誕生日には何もしてあげなかったので、クリスマスプレゼントに彼女の好物であったお味噌を送るべく、他に何が欲しいかメールを送った。カレールーと海苔と返事がきた。私は航空便で送るのに、出来るだけ重量を軽くするため、スーパーをはしごで半日かけて適当な品を探し出し、粒状の味噌汁と、粉末のカレールーと、一口大に切断された大袋の海苔を買い込み、なるべく重量が増さないそれでいて型崩れしそうにないダンボール箱をやっとで探し出し、安い郵送方法を探し出して、かの国へ郵送手続をした。が、ここで問題があった。彼女の数字は、1と7と9が区別できず、3と8も読めないので、私は幾度も注意したことがあった。

『日本では、小学校の先生は、字が丁寧且つきれいで、驚くほどなのに、貴女はこんなで、学校の生徒や父兄から文句は出ないの?』と思い切って言っては見たものの、全く無視されたものだ。しかし、彼女の住所を記したどれを見ても、はっきりこれはといえるものはなく、だから、私からのプレゼントは、必ず彼女の元に届くかどうかわからない。メールで、クリスマスプレゼントに、これらの品を航空便で送ったこと。カレールーを使わないカレーの作り方を説明したところ、『思いもかけないプレゼントに私と母は大喜びです。母も日本の味噌汁とカレーライスが大好きなのです。』と、即日に返事がきた。

彼女とお母さまの手に取るように喜んでいる様子が伝わってきた。私はケニアの少女とリトアニアの彼女には、自署でなく、パソコンで活字にしたものを貼りつけている。幾ら丁寧に崩さずに書いてもパソコンで打った活字にはかなわないから。自分の字は誰でも読めると思うこと事態も長年教師をしてきたおごりであろうか。小さいことではあるが、小さい立場の人でもおごりがある。偉くなった時に、島田神助さんのようになってしまうのだろう。何処で線を引くとはならないから、己が小さい時から≪年齢ではない≫おごりが無いように努力せねばならない。



動物を殺生することへの人間の戒め。何が殺人者をかりたてるか

1:埼玉県山郷市の路上で先月、同市立中学3年の女子生徒(15)が刃物で襲われた事件で、同県警に殺人未遂などの疑いで逮捕された同市に住む通信制高校2年の男子生徒(16)が事件前、「動物を殺したので次は人間を殺すつもり」などと周囲に話していたことが捜査関係者への取材で分かった。県警は、男子生徒が動物虐待を日常的に重ね、それがエスカレートしたとみて詳しい動機を調べている。

2:神戸連続児童殺傷事件(こうべれんぞくじどうさっしょうじけん)は、1997年(平成9年)に兵庫県神戸市須磨区で発生した当時14歳の中学生(以下「少年」と称す)による連続殺傷事件。別名『酒鬼薔薇事件』『酒鬼薔薇聖斗事件』とも呼ばれる。この事件で、2名が死亡し、3名が重軽傷を負った。

1の事件後テレビでは、事件を起こす少年の特徴として事前に動物虐待、または殺傷の兆候が見られる・・・・と専門家などが警告するようになった。これらの少年が犯す殺人・またはオウム事件などに対してもすでに梅原猛著≪日常の思想・昭和57年出版≫に既に問題提起されている。当時の日本社会の風潮からして、予想されていたということであろうか。以下全体は長いので一部省略させて頂く。

題目は『殺戮の文明』
久しぶりで故郷へ帰ってみると、かっての故郷はどこにもないのを感じる。まだ古い家はあり、昔の山はそこにある。しかし、生物が全くいないのである。子供のころ私は自然の子であり、活字のもとよりも、どじょうや、ふなや、とんぼやほたるのもとですごすことが多かったけれど、今、それらの動物はほとんどいないのである。秋の空には、赤とんぼが群れていた。あの空に群れている赤とんぼを見ると、私は不思議な幻想にかられたものだが、今はとんぼは一匹もいない。どじょうは子供の私には最大の友であった。・・・・・・・・以下省略・・・・

今は、どじょうばかりか、ほとんど生物らしきものもおらず、農薬のにおいが、いたずらにきたない小川にたちこめているばかりである。ああ、あのとんぼやほたるや、どじょうや、ふなはどこへ行ったのか。
子供の私は一個の殺傷者であった。私は、罪もないどじょうやふなの生命を奪うのを楽しみにしていた。しかし、子供の私が犯した殺傷の罪より、何千倍、何万倍の殺傷の罪が、文明の名により、生産増強の名により行われたのである。

農薬、それは農業生産増強の恩人、それにより農夫の労働は楽になり、我々の食料は豊かになった。けれど、その背後に空前とも言うべき殺生がおこなわれていたのである。どじょうは絶滅し、イナゴは食料用として養殖されるようになり、へびもかえるも住み家はなく、虫がいない村には、鳥だってこないのである。・・・・・・省略・・・・・・・私はもとより農業の使用に反対しようとは思わない。しかし、今現に、人間が犯している殺生の罪の深さを知れと言いたい。

仏教は何よりも殺生の罪を第一におく。それはキリスト教が第一におく、モーゼの十戒の中の『汝、殺すなかれ』という戒律とはちがうのである。汝殺すなかれは、人間を殺すことのみに当てはまるであろうが、殺生の罪は、全ての生きとし生けるものを殺すことにあてはまるのである。日本人は、近代文明を取り入れるとき、ついでに仏教を忘れてしまった。おそらく、真の仏教者であったら、近代文明が犯している殺生の罪の深さにおののくに違いない。

しかし、仏教を忘れた日本人は、殺生戒を犯しても、何の罪の意識も感じない。・・・・省略・・・・・こうした、殺生の罪を平気で犯した人間が、やがて人間同士の徹底的な殺戮を行うのではないかということが、何よりも心配なのである。人間的エゴイズムのために、他の国家、他の人類を全面的に滅ぼさないという保障などどこにもないのである。前者の罪を平気で犯した人間が、後者の罪をも平気で犯すであろうことは論理の必然である。後者の行為を人間に止めさせているのは、それが同じく全面的な破壊によって、報復されるであろうという心配のみである。しかし、それは、近い将来、その報復を省みず全面的な殺生の兵器を使用する無謀な個人や国家が出現するに違いない。今、まさに平安に見えるが、哲学者の私には、世界は破滅に向かって急速に進む一個の悲劇的なドラマに見えて仕方ないのである。


梅原先生のご推察のとおり、その後オウム事件が世を騒がせ、アメリカによるイラク攻撃が始まった。
師は『やはり・・・』と思われたであろう。

キリスト教では食事の前に神に祈る。それは人間が食するために殺生せねばならなかった食卓に、命を捧げてくれた動物に対しても感謝の祈りを捧げる意味もある。必要以上に動物を殺戮し、食品を無駄に破棄し、何とも思わない人間の中から、動物を殺生してもなんら心が傷まない少年が育つのではないだろうか。食すために飼育されている動物と巷を駆けめぐる、犬猫たち。それらに何ら違いはない。生きている目的が、人間の都合により異なるだけではないか。これらに対する感謝の心は、小さい時からの、家庭での会話などを通して、育まれるべきと私は考える。

某中国出身の若者が、生きている猿の頭を切って生きているままの猿の脳みそは美味しい。これを批判した私に、食べてみればそのすばらしさがわかる・・・・と、平然と言い放った。中国では、その昔、食肉文化があり、料理本も出ている。人間とは罪深き生き物である・・・と言わざるを得ない。